7月9日(日),鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)流鏑馬神事が斎行されました。
流鏑馬神事の前に,御釜神社(塩竈市本町)で潮垢離(しおごり,禊のこと。「塩垢離」とも。)が行われます。正午頃志波彦神社鹽竈神社第二講堂前を出発し,鹽竈神社で最も古い参道である七曲坂を下ります。七曲坂は奈良時代にはあったものと推定されていますが,もっと古いかも知れません。
御釜神社に到着しました。
射手らが参拝します。
御釜神社での潮垢離が終了し,七曲坂を上るため,本町商店街を進みます。
七曲坂を上ります。
七曲坂を上り切り,神馬舎の前に来ました。
午後2時少し前に馬場に射手3人ら関係者が登場しました。
2回試技が行われます。写真はその一部です。
いよいよ流鏑馬です。三人の射手が三つの的を次々と射抜いてゆきます。それぞれ3回行われます。矢が的に的中することは除災招福の瑞祥とされております。動画はその一部です。
午後2時35分頃流鏑馬神事が終了しました。神事の後は,子供たちが馬に乗って記念写真を撮る様子が見られました(写真はありません。)。
なお,志波彦神社鹽竈神社HPによると,「鹽竈神社流鏑馬神事は室町時代,留守職・伊沢家景が三頭の馬を献じて流鏑馬を行い,部下の士気を高めたのが始まりと伝えます。」とのことです。新聞等の報道機関もこれを引用しています。ただし,伊澤家景は平安時代末期から鎌倉時代初期の御家人(生誕不明~承久3年(1221年))で,文治6年(1190年)に陸奥國留守職(るすしき)に任ぜられていますから,「室町時代」では時代が合いません。「鎌倉時代」の誤りと思われます。「室町時代」が正しいのであれば,伊澤家景とは無関係ということになります。このことについて,私はこれまでいろいろな機会に指摘してきたのですが,ほとんど無視されて来ました。そこで,流鏑馬神事の由緒について「今からおよそ830年前」云々と放送で説明していた神職にその旨を指摘したところ,「おっしゃるとおりです。」とのことでした。何らかの対応がなされるものと期待しています。
おって,同日午後4時33分配信のKHB(東日本放送,テレ朝系)の鹽竈神社流鏑馬神事のニュースで,「鹽竈神社で毎年行われている流鏑馬の神事は,鎌倉時代に武芸の上達を願って奉納されたのが始まりとされていて,的に当たる矢の数が多いほど幸運が訪れると言われています。」と放送されました。