駅長オススメの小さな旅「歴史探訪~秋の浦戸で地蔵をめぐる~」 | 哲風のBLOG

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 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 10月7日(木),JR東日本「駅長オススメの小さな旅「歴史探訪~秋の浦戸で地蔵をめぐる~」」が開催されました。写真で報告します(当日は写真撮影がほとんどできなかったため,大部分の写真はこれまでにこのBLOGで使用したものです。御了承願います。)。

 

 午前9時,JR仙石線・本塩釜駅(宮城県塩竈市海岸通)構内の塩竈市観光案内所前に集合です。

 

旅市(1)

 

 仙石線・多賀城駅長あいさつ,コース説明の後,出発です。

 

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 マリンゲート塩釜(塩釜港旅客ターミナル,塩竈市港町一丁目)から塩竈市営汽船に乗ります。寒風沢島までの運賃は630円です。

 

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 寒風沢桟橋に到着しました。所要時間は通常約46分ですが,干潮のためか,やや遅れました。

 

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 まず,造艦の碑です。この碑(縦2.3m,横1.2m)は,国防上の必要から仙台藩の命により三浦乾也(けんや)が東北で初めて西洋型軍艦(2本マストのトップスルスケーナー型汽帆船。長さ33m,幅7.6m,高さ5.8m,大砲9門)を建造したことを記念して,その門人たちにより建立されたものです。この軍艦「開成丸」建造に当たり,寒風沢に造船所を造り,小野寺鳳谷の監督の下安政3年(1856年)8月26日着工,翌安政4年(1857年)7月14日第13代藩主・伊達慶邦臨席の下進水し,その後艤装工事を経て11月完成,同年12月から正月明けにかけて寒風沢-気仙沼間の試験航海に成功したとのことです。「島歩きマップ」には「日本初の西洋式軍艦」とありますが,幕府(徳川家定)は鳳凰丸(嘉永7年(1854年)5月10日), 薩摩藩(島津斉彬)は昇平丸(嘉永7年(1854年)12月12日)を完成させています(水戸藩(徳川斉昭)も仙台藩よりも早いようです。)ので,「東北初」でしょう。しかし,開成丸の性能では既に時代遅れ(軍艦としての速力不足)で,輸送船に改造してもその構造が適当でなかった関係もあって,進水後2年にしてその姿を消すことになってしまいました。造艦の碑は,昭和62年2月1日塩竈市有形文化財に指定されています。

 

浦戸(27)

 

浦戸(28)

 

浦戸(29)

 

 「世界一周し故郷寒風沢に帰還した漂流民 津太夫と左平」の案内板です。「数奇な運命に翻弄され,日本人として初めて世界一周してしまった男たちの長い長い12年の旅路」(寛政5年11月27日(1793年12月29日)江戸を目指し石巻出港~文化3年(1806年)2月下旬帰郷)は,大槻玄沢・志村弘強の「環海異聞」全15巻にまとめられています。石巻若宮丸漂流民の会は「知りたい宮城の歴史 初めて世界一周した日本人 石巻若宮丸漂流民物語」を発行しています。

 

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 日和山展望台に向かいます。日和山は標高22.2mとのことです。

 

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 日和山展望台に到着しました。木が生い茂り,海はほとんど見えません。

 

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 天保12年(1841年)8月造立の十二支方角石です。この方角石は,十二支が刻まれた円柱形をなし,直径45cm,高さ82.5cmと他所に類を見ない堂々としたものです。奉献者が一般の船頭,廻船問屋とは異なり,幕府から差遣された役人(木村又兵衛正信)であることも珍しいようです。昭和62年2月1日塩竈市有形文化財に指定されています。

 

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 (参考)寒風沢桟橋近くにある十二支方角石の複製です。

 

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 庚申塔です。何故か向きが変わってしまっています。旧暦では60日に一度庚申(かのえさる)の日が巡って来ますが,この夜眠ってしまうと人間の体内にすんでいる三尸(さんし)という虫が体内から抜け出し天帝にその宿主(人間)の罪悪を告げ,その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから庚申の日の夜は眠らずに過ごすという風習が行われました。一人では夜明かしをして過ごすことは難しいことから,庚申講(庚申待ち)が行われました。つまり,60日ごとに皆が集まり,夜明かしで酒を飲もうというわけです(笑)。庚申塔の特徴は,邪鬼を踏ん付けていることです。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いとのことです。 

 

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 聖観世音菩薩のようです。

 

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 しばり地蔵です。寒風沢港が繁栄していた頃島内には遊郭があり,船出しようとする男達を引き止めようと,お地蔵様を荒縄で縛り逆風祈願したと伝わっています。ただし,地蔵菩薩ではなく,毘廬舎那仏(毘廬遮那仏)のようです。

 

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 霊亀山松林寺(臨済宗妙心寺派,塩竈市浦戸寒風沢字愛宕)です。

 

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 坂本玄順先生墓です。寛政2年(1790年)寒澤寺に寺子屋が置かれ,玄順が指導したとのことです。

 

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 化粧地蔵です。白い粉を塗って祈願すると,美しい子が授かると言われているそうです。

 

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 六地蔵です。古代インドでは生類は六道(天道(天上道とも)・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)を輪廻転生する(つまり,永遠に死なない。)とされ,これは苦痛であると捉えていました。釈迦(ガーダマ・シッダールタ)はこの世のことはすべて無常と悟ることによって,この輪廻の輪から抜け出る(解脱する)ことができると考えました。解脱すると仏陀(如来)となりますが,一歩手前の存在が菩薩です。お地蔵さまも菩薩です(地蔵菩薩)。六地蔵は,六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものであると言われています。私は,六地蔵の六道への配当(どれが天道の地蔵で,……どれが地獄道の地蔵なのか,ということ)を考えて,これまで印相(いんぞう,手の指の形)又は持物(じもつ,手に持つ物)を観察して来たのですが,ほとんど諦め気味です(苦笑)。六道への配当は,寺院が自らの寺院内にある六地蔵について説明しているものでもない限り,無理なのかも知れません。自らの寺院内にある六地蔵についてさえ,六道への配当ができない寺院は珍しくないそうです。寒風沢島,野々島の六地蔵について,詳しい方がいらっしゃれば,御教示いただければ幸いです。

 

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 とりあえず,向かって右から印相・持物を観察してみます。①摩滅してしまっているため,まったく判りません。ただし,大きな物を持っているようには見えません。②念珠を持っているようです。③錫杖を持っているようです。④これまで「如意を持っているようです。」と書いて来たのですが,「旗」(宝幢(ほうどう))のように見えます。⑤合掌しています。⑥香炉を持っているようです。

 

寒風沢(15)

 

寒風沢(16)

 

寒風沢(17)

 

寒風沢(18)

 

寒風沢(19)

 

寒風沢(20)

 

 伊達氏の家紋・竪三引両(たてみつひきりょう)が見えます。松林寺が伊達氏所縁(ゆかり)の寺院であることが判ります。竪三引両は,伊達氏第1世・朝宗が文治5年(1189年)源頼朝から拝領した幕紋二引両(まくもんふたつひきりょう)を後代竪三引両に改め輪郭に入れ図案化し定紋としたもので,伊達氏の家紋では最も古いものです(伊達家伯記念會「伊達家の家紋」から引用)。

 

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 延命地蔵です。この石仏は元観音堂参道にあったものを明治37年聖観世音菩薩像(行基作)と同時にこの地に遷座されたものであるとのことです。この地蔵像は享保年間(1716年~36年)江戸で作られ,千石船によってこの地へ搬送されましたが,この船は順風に恵まれ1日1夜で到着したと言われ,そのことから一夜地蔵の別名もあるそうです。

 

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 集落のはずれに佇む六地蔵です。

 

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 向かって右から印相・持物を観察してみます。①念珠を持っています。②宝珠を持っているようです。③合掌しています。④錫杖を持っているようです。⑤香炉を持っているようです。⑥これまで「如意を持っているようです。」と書いて来たのですが,「旗」(宝幢(ほうどう))のように見えます。

 

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 六地蔵の向かって左側は,如意輪観音(にょいりんかんのん,観世音菩薩の変化身(へんげしん)の一つ)のようです。

 なお,「六観音」とは,聖観音(地獄道),千手観音(餓鬼道),馬頭観音(畜生道),十一面観音(修羅道),准胝(じゅんでい)観音(人間道),如意輪観音(天道)とされています。

 

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 松洞山寒澤寺(真言宗,塩竈市浦戸寒風沢字愛宕)です。江戸時代鹽竈神社(塩竈市一森山)の別当寺であった法蓮寺(金光明山法蓮華院法蓮密寺)の末寺であったとのことです。鳥居があるので,神社かなと思ってしまいます。本尊は不動明王です。寒澤寺は明治時代初期に廃寺になっているはずです(法蓮寺は明治3年廃寺)が,現在も島民によって護られているようです。

 

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 さて,「百万遍供養碑」は「縦140cm,横85cm」とされています(平成22年3月宮城県教育委員会「特別名勝松島保存計画」,塩竈市HPなど多数)が,どれでしょうか?「鎌倉時代製」ともあります(「浦戸諸島〔資源目録〕」,「文化の港 シオーモ」など)。

 

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 青面金剛(しょうめんこんごう)像です。

 

寒風沢(25)

 

 読誦(どくじゅ)法華供養石碑です。「寶(宝)暦九」年(1760年),「願主 長南清八郎喜成夫妻」とあるようです。

 

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 光明真言供養碑です。「元禄十二」年(1700年),「長南喜右衛門五十六歳敬建石」とあるそうです。詳しい方によると「90人の信者が集まって真言を唱え,その数を冠して各々の名前を記したもので,一万遍から百五十万遍が見える。」とのことです。

 

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 寒念仏供養です。

 

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 「百万遍供養碑」は,光明真言供養碑か読誦法華供養石碑かのどちらかでしょう。メジャーで「横」の長さを測ってみました。光明真言供養碑は最も長い所で約100cm,読誦法華供養石碑は約40cmです。「縦140cm,横85cm」というのが正しいのであれば,読誦法華供養石碑ということはあり得ません。「横」は,最も長い所で測るものではなく,下端を測るものであれば,85cmかも知れません。よって,根拠がある資料によって否定されない限り,「百万遍供養碑」は光明真言供養碑であるとします。ただし,何故「元禄12年(1700年)建石」ではなく,「鎌倉時代製」なのかは不明です。

 

 歴代の住持職の墓碑などです。両脇にあるのは地蔵菩薩でしょう。右の地蔵菩薩には「明和」とあります。

 

寒風沢(29)

 

寒風沢(30)

 

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 民宿「外川屋」(塩竈市浦戸寒風沢字湊)です。ここで昼食(1500円)及び休憩です。

 

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 食事及び休憩後,寒風沢桟橋から野々島学校下へ渡船に乗ります。電話をかければ迎えに来てくれます。塩竈市の道路扱いですので,運賃は無料です。ただし,定員の関係上2回に分けての乗船です。

 

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 夜泣き地蔵・六地蔵に向かいますが,その前に宇内浜に立ち寄ります。「ゆるりと過ごす 大人の島じかん」,これで爽やかな秋晴れであれば最高です。

 

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 野々島共葬墓地に到着しました。ここに夜泣き地蔵,六地蔵があります。

 

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 夜泣き地蔵は子供の夜泣きが治ると言い伝えられ,各家々ではこのお地蔵様にお願いしたそうです。

 

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 夜泣き地蔵の近くに(向かって左側,一つ置いて)六地蔵があります。

 

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 向かって右から順に,六地蔵を観察してみます。①念珠を持っています。②錫杖を持っているようです。③合掌しています。④宝珠を持っているようです。⑤香炉を持っているようです。⑥これまで「如意を持っているようです。」と書いて来たのですが,「旗」(宝幢(ほうどう))のように見えます。

 

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 熊野神社(塩竈市浦戸野々島字平和田)に向かう途中です。これは庚申塔です。

 

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 向かって左にある「文化十一年」(1814年)の「南無阿弥陀佛」と刻された碑です。

 

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 「元文(げんぶん)三年」(1738年)の地蔵菩薩でしょうか。合掌しています。「信女」とありますので,亡くなった女性の供養のためのものでしょう。

 

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 香炉を持つ地蔵菩薩でしょうか。

 

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 これは分かりません。

 

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 「南無阿弥陀佛」と刻された碑です。

 

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 錫杖を持つ地蔵菩薩でしょうか。

 

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 熊野神社に到着しました。塩竈市HP「文化財(野々島) 熊野神社」には「承応年間以前は毛無崎囲,観音堂の西にあったが,現在は野々島の平和田囲に所在し大巳貴命(おおなむち)が祀られています。特に御神像の奥に納まる厨子入り仏像は「キリシタン」研究の資料として貴重です。」とあります。「大巳貴命」とは「大國主大神」の別名です。大國主大神は出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)の主祭神です。ただし,宮城県神社庁の「神社検索 熊野神社」には「主祭神 熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)」とあります。熊野久須毘命は天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)によって生まれた男神5柱,女神3柱のうちの1柱(男神)です。

 なお,熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)の主祭神は,家津美御子大神(けつみみこのおおかみ=素盞鳴尊(すさのおのみこと))とされています。また,熊野大社(出雲市八雲町熊野)の主祭神は,伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご=素盞鳴尊)です。大國主大神は,「古事記」によると須佐之男命6世の孫とされていますが,「日本書記」によると素盞鳴尊の息子とされ,7世の孫との説もあるようです。

 

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 浦戸諸島開発総合センター(ブルーセンター,塩竈市浦戸野々島字河岸)です。「研修目的の宿泊や貸室も行っている。市役所支所や診療所,コミュニティスペースを兼ねる。」(塩竈市観光振興ビジョン推進委員会「島歩きマップ【補足版】 浦戸諸島の歩き方」)とのことです。

 

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 野々島桟橋で塩竈市営汽船に乗ります。マリンゲート塩釜(塩釜港旅客ターミナル,塩竈市港町一丁目)までの運賃は580円です。

 

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 マリンゲート塩釜に到着しました。所要時間は約31分です。

 

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 午後3時少し前,桟橋で解散です。

 

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 「駅長オススメの小さな旅「歴史探訪~秋の浦戸で地蔵をめぐる~」」の参加者の皆さん!!近いうちに,またどこかで御一緒したいですね。