浦戸深緑潮風ウォーキング6.6キロ(第3回) | 哲風のBLOG

哲風のBLOG

 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 6月13日(日),Goshurun Matsushima(御朱走松島)の「49th.浦戸深緑潮風ウォーキング6.6キロ」に参加しました。写真で報告します。今日は,その第3回です。

 

 白石廣造邸跡です。白石廣造は,弘化元年12月14日(1845年1月21日)武蔵國葛飾郡千塚村(現・埼玉県幸手市大字千塚)で生まれました。廣造は,明治4年石浜に「白石回漕店(白石商会)」を設立し,北海道や三陸沿岸各所の海運交通を開き,かつ遠洋漁業を経営し,オホーツク海,ベーリング海等におけるラッコ・オットセイ猟を興し,東北振興事業,塩竈築港の企画促進等を主唱しました。明治22年市町村制の実施に当たり初代浦戸村長。明治43年11月藍綬褒章。大正2年5月6日仙台で死去(享年69)。敷地内には,屋敷の礎石や石蔵,庭園の石燈籠が残っており,当時の繁栄を偲ばせるものとなっています。

 なお,宮城県観光課の説明板には,白石廣造の藍綬褒章受章を「明治23年」と記載しています。桂島共葬墓地の白石廣造の墓石には,はっきり読み取れないものの「明治四十三年十一月朝廷賜藍綬褒章」とあるようです。「明治23年」か「明治43年」か,詳しい方に御教示頂ければ幸いです。

 

6.13(23)

 

6.13(24)

 

 白石廣造邸跡近くから海を眺めます。

 

6.13(25)

 

 石浜桟橋です。石浜桟橋から野々島桟橋へは渡船に乗ります。電話をかければ迎えに来てくれます。塩竈市の道路扱いですので,運賃は無料です。

 

6.13(26)

 

6.13(27)

 

 野々島桟橋に到着しました。

 

6.13(28)

 

 浦戸諸島開発総合センター(ブルーセンター,宮城県塩竈市浦戸野々島字河岸)前で少し休憩した後,野々島共葬墓地に向かいます。野々島共葬墓地のアジサイ(紫陽花)は,この近くで最も早く見頃を迎えるようです。

 

6.13(29)

 

 夜泣き地蔵・六地蔵です。夜泣き地蔵は子供の夜泣きが治ると言い伝えられ,各家々ではこのお地蔵様にお願いしたそうです。夜泣き地蔵の近くに(向かって左側,一つ置いて)六地蔵があります。古代インドでは生類は六道(天道(天上道とも)・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)を輪廻転生する(つまり,永遠に死なない。)とされ,これは苦痛であると捉えていました。釈迦(ガーダマ・シッダールタ)はこの世のことはすべて無常と悟ることによって,この輪廻の輪から抜け出る(解脱する)ことができると考えました。解脱すると仏陀(如来)となりますが,一歩手前の存在が菩薩です。お地蔵さまも菩薩です(地蔵菩薩)。では,どれが天(上)道の地蔵菩薩で,どれが地獄道の地蔵菩薩なのでしょうか。必ずしも向かって右又は左から順に並んでいるわけではないようです。簡単に言えば印相(いんぞう,手の指の形)又は持物(じもつ,手に持つ物)が違うのですが,ここの六地蔵は何かを持っているようには見えません。課題は寒風沢島の六地蔵の写真撮影まで持ち越すことにします。

 

6.13(30)

 

 宇内浜です。干潮のため島と地続きになっています。宇内浜を見ながら昼食です。その後瞑想をしました。「のんびり島じかん」です。

 

6.13(31)

 

6.13(32)

 

 それでは,明日の第4回に続きます。

 

【9月8日(水)追記】

 野々島共葬墓地の六地蔵について,「何かを持っているようには見えません。」と記載しましたが,それは観察が足りなかっただけのようです。申し訳ありません。