桂島・野々島(第4回) | 哲風のBLOG

哲風のBLOG

 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 5月31日(月),桂島・野々島に行って来ました。写真で報告します。今日は,その第4回です。

 

 雨降り石です。水道の無い時代,ここで雨乞いが行われたと伝わっています。

 

桂島(33)

 

桂島(34)

 

 ここからトレッキング(山歩き)を楽しんで白石廣造邸跡に向かうことも可能ですが,私1人では危険な場所があるため,一旦戻って石濱神社に向かいます。

 

桂島(35)

 

 石濱神社(宮城県浦戸石浜字山神)です。主祭神は花園天皇で,宮城県神社庁によると由緒は「花園天皇の文安(1444年~9年)年中邑民等の奉祀するところにして山神と称した。元津山森東北砂木と呼ぶ岬に祀られていた。後今の産土神森に移祀したと伝えられる。」とのことです。

 

桂島(36)

 

桂島(37)

 

桂島(38)

 

桂島(39)

 

 白石廣造邸跡です。かなり草が茂っています。白石廣造は,弘化元年12月14日(1845年1月21日)武蔵國葛飾郡千塚村(現・埼玉県幸手市大字千塚)で生まれました。廣造は,明治4年石浜に「白石回漕店(白石商会)」を設立し,北海道や三陸沿岸各所の海運交通を開き,かつ遠洋漁業を経営し,オホーツク海,ベーリング海等におけるラッコ・オットセイ猟を興し,東北振興事業,塩竈築港の企画促進等を主唱しました。明治22年市町村制の実施に当たり初代浦戸村長。明治43年11月藍綬褒章。大正2年5月6日仙台で死去(享年69)。敷地内には,屋敷の礎石や石蔵,庭園の石燈籠が残っており,当時の繁栄を偲ばせるものとなっています。

 なお,宮城県観光課の説明板には,白石廣造の藍綬褒章受章を「明治23年」と記載しています。「明治23年」か「明治43年」か,詳しい方に御教示頂ければ幸いです。

 

桂島(40)

 

桂島(41)

 

 白石廣造邸跡近くから海を眺めます。

 

桂島(42)

 

 なお,浄極庵(臨済宗妙心寺派)という詳細不明の古い建物があるのですが,かなり戻ることになるため,またの機会にします。

 

 それでは,明日の第5回に続きます。