5月31日(月),桂島・野々島に行って来ました。写真で報告します。今日は,その第4回です。
雨降り石です。水道の無い時代,ここで雨乞いが行われたと伝わっています。
ここからトレッキング(山歩き)を楽しんで白石廣造邸跡に向かうことも可能ですが,私1人では危険な場所があるため,一旦戻って石濱神社に向かいます。
石濱神社(宮城県浦戸石浜字山神)です。主祭神は花園天皇で,宮城県神社庁によると由緒は「花園天皇の文安(1444年~9年)年中邑民等の奉祀するところにして山神と称した。元津山森東北砂木と呼ぶ岬に祀られていた。後今の産土神森に移祀したと伝えられる。」とのことです。
白石廣造邸跡です。かなり草が茂っています。白石廣造は,弘化元年12月14日(1845年1月21日)武蔵國葛飾郡千塚村(現・埼玉県幸手市大字千塚)で生まれました。廣造は,明治4年石浜に「白石回漕店(白石商会)」を設立し,北海道や三陸沿岸各所の海運交通を開き,かつ遠洋漁業を経営し,オホーツク海,ベーリング海等におけるラッコ・オットセイ猟を興し,東北振興事業,塩竈築港の企画促進等を主唱しました。明治22年市町村制の実施に当たり初代浦戸村長。明治43年11月藍綬褒章。大正2年5月6日仙台で死去(享年69)。敷地内には,屋敷の礎石や石蔵,庭園の石燈籠が残っており,当時の繁栄を偲ばせるものとなっています。
なお,宮城県観光課の説明板には,白石廣造の藍綬褒章受章を「明治23年」と記載しています。「明治23年」か「明治43年」か,詳しい方に御教示頂ければ幸いです。
白石廣造邸跡近くから海を眺めます。
なお,浄極庵(臨済宗妙心寺派)という詳細不明の古い建物があるのですが,かなり戻ることになるため,またの機会にします。
それでは,明日の第5回に続きます。