👫皆様おはようございます💑
🎉今年は、私達夫婦の40周年の記念の年、その40周年をメインに、同じく、今年、記念となる事柄を併せて奉祝行事といたします。
その第3弾が……
㊗️フジ坊夫妻40thメモリアル第3弾…「婚約40周年記念」、所謂、媒酌人立会の下、結納を交わした日になります(3月18日) 。
🎊その記念旅行として、17~18日の2日間、1泊で熊本に行って来ました。
🐻この時期の「熊本」と言えば、そうです、あの国民的ヒーロー「くまモン」の誕生祭が開催されます、婚約記念旅行は、その誕生祭に参加する為、熊本にお邪魔いたしました。
🐻誕生祭2日目の17日に参加しましたが、朝から雨模様で、時には、雨脚が強くなる生憎の天気でした。
(一般道路を塞いでまで実施されたくまモン誕生祭のメインゲート、流石、県下一の名士ですね)
(くまモン誕生祭撮影スポットの1つだよ)
(くまモンカー2台展示していました)
(タイムスケジュールと観覧方法を記した立て看板)
(10時開始のオープニングイベント抽選ブースです)
(オープニングイベントの抽選に並ぶファンの列です)
(大きなくまモンのビニールが、絶好の被写体でした)
(開場前の誕生祭会場の様子です)
(いよいよ開幕、くまモンとくまモン隊のお姉さんたちが登場しました)
(くまモン誕生祭に駆けつけてくれたお友達と、くまモン隊のお姉さんたちに囲まれるくまモンです)
(誕生祭メインイベントの1つ、くまモンコレクション、 通称モンコレ、熊本県が生産高日本一を誇るスイカ🍉の衣裳です)
(余りの暗さに、昼間でも「モン提灯」に灯りが点灯していました)
(雨が酷いので、このクイズ大会を見学後、会場を後にした次第です)
(誕生祭でゲットしたくまモンのペロペロキャンディ🍭です)
🐻くまモンスクエアにも寄ってみました。
(新装されたくまモンスクエアの前で)
(ゆるキャラグランプリ優勝の賞状だよ)
↑
🐻新装なったくまモンスクエアの内部です🐻
↓
(中央の黄色いステージが、くまモンが踊る場所です)
(誕生日メッセージを書いちゃった、モンちゃん見てくれるかな?)
🐻熊本日日新聞を購入しました!
(3/12付の熊本日日新聞に、くまモン検定の満点💯合格者の名前が載っていました、「フジ坊」の名前、何処にあるかなぁ~)
(ありました!京子様も満点💯だったのですね、凄いです)
🏯婚約(結納) 記念40周年当日の18日は、昨日と打って変わって、記念日を祝ってくれているかのような好天に恵まれ、久々、熊本市内の名所を訪ねてみました、先ずは、名勝•水前寺成趣園です。
(細川忠利公が造営された水前寺成趣園です)
(水前寺公園の説明書きです)
✏細川幽斎が京都御所で、後陽成天皇に古今和歌集の解釈を伝授した部屋を、そのまま熊本に移築した「古今伝授の間」は、現存唯一の物です。
(古今伝授の間の内部です)
✏1632年、初代熊本藩主•細川忠利は、羅漢寺の住職•玄宅の為に「水前寺」を創建し、水前寺御茶屋を造営する、水前寺公園の最初です。
✏2代光尚、3代綱利に渡り、庭が造営され、1671年、現在の姿が出来上がり、陶淵明所縁の成趣園と命名される、国の名勝•史跡に指定されている。
✏富士山を模していると言われる「富士築山」や、園内には、出水神社、古今伝授の間、幽斎•忠利公の像、稲荷神社、縁結び梛の木、夏目漱石の句碑などが点在しています。
✏その一つ「縁結びの梛」です、古来より縁起物の木で、この木を持つと男女の縁が切れない、又、「なぎ」の語源から、苦難をなぎ払うとも言われています。
(縁結びの木•梛の木です)
(古今伝授の間から眺めた水前寺成趣園です)
(知る人ぞ知る熊本の銘菓「望月」です、勿論、買いましたよ)
🏯水前寺成趣園を後に、次に向かった先は、天下の名城「熊本城」です、先ずは、熊本城南口の近くにある「太田黒伴雄奮戦の地」の石碑に目が止まりました。
(前原一誠萩の乱、江藤新平佐賀の乱、熊本神風連の乱、そして、西郷隆盛の西南戦争と、明治新政府に対する不満が爆発した不平士族の反乱の一つだった神風連の乱は、明治9年、廃刀令に対し、太田黒伴雄が中心になって起こした反乱です)
🏯天下の名城「熊本城」は、1607年、築城の名手、加藤清正が築城した平山城で、別名を「銀杏城」とも呼ばれ、国の特別史跡に指定された日本三名城の一つです。
✏平日は、此所、熊本城南口から入城します、何と、北九州市の65歳以上は、入城無料なんですよ。
✏南口から入城、南ルートに従って、天守閣を目指します、「数寄屋丸二階御広間」の下部は、まだ、熊本地震の爪痕が残っていました。
✏桜でしょうか、遠くに見える天守閣と桜🌸は、絶好のパートナーですね。
🏯南ルートから天守閣を目指す観光客ですが、外国人が多いのには、うんざりでした。
(上に行く程、傾斜角度が急になる「武者返し」と呼ばれる熊本城独特の石垣です)
↑
✏古い石垣と新しい石垣が織り成す建築美を実感出来る「二様の石垣」と呼ばれるポイントです。
↓
(二様の石垣と天守閣とのコラボです)
(熊本城の特徴の一つ、闇り通路説明書きです)
↑
✏「闇り通路」は、地震の被害が無く、全国的にも珍しい地下通路です。
↓
(別名を銀杏城と呼ばれる由来となった加藤清正公お手植えの銀杏の木と熊本城天守閣です)
(2016年の熊本地震で被災した熊本城も、関係者の尽力もあって、2021年、無事、復旧しました)
(加藤清正の甲冑と熊本城天守閣)
(熊本城御城朱印と天守閣)
(平日にも関わらず、大勢の観光客で賑わう熊本城天守閣広場です)
(いよいよ、登城の総振れがありました、遅れる事まかりならん!)
(久々、熊本城天守閣に登城いたします、細川家と加藤家の家紋が目を引きます)
(天守閣の入口から入った直ぐの場所です)
(実物10分の1の天守軸組の模型です)
(熊本城天守閣最上階の様子です)
↑
🏯熊本城天守閣最上階から眺めた熊本市内の風景です、下の銀杏が、清正公お手植えの銀杏で、ビル壁には、大きなくまモンが描かれていました。
↓
🏯「明治新政府軍に負けたのではない、加藤清正に負けたのである」あの西郷隆盛をして、こう言わしめた難攻不落の堅城が、この熊本城です。
✏1877年、征韓論に敗れ、野に下った西郷隆盛率いる薩摩軍と、谷干城率いる明治新政府軍とが死闘を繰り広げた西南戦争激戦地の一つが、此所、熊本城です。 攻める薩摩軍、守る新政府軍、薩摩軍の猛攻撃にも落城しなかった熊本城は「難攻不落の堅城」として、全国にその名を轟かせた。
(左下が出口になっています)
✏加藤清正によって築城され、細川家によって城下が整備され、明治に入って、西南戦争や金峰山地震で被災、近年では、熊本地震で甚大な被害を被った熊本城ですが、市民などの復興の声に押され、見事に再建成りました、阿蘇と並ぶ熊本のシンボル熊本城は、これからも、熊本県の象徴であり続ける事でしょう。
🌸熊本城天守閣を後にして、熊本県の物産やお土産、飲食店が軒を連ねる「桜の馬場•城彩苑」へ向かいました、途中、菜の花が綺麗な石垣がありました。
(城下町を再現したような桜の馬場城彩苑です)
(汗ばむ陽気の中、冷たいアイスに行列が出来ていました)
(家内が並んで、スペシャル苺🍓ソフトを買って来ました、🍓の数が半端ないですね)
🚙熊本市を後にした私達は、その後、福岡県の原鶴温泉で入浴し、久留米競輪場に立ち寄った後、此方では、何度もテレビで紹介された「大力うどん」で夕食を済まして、一路、ライトアップされた関門橋へ向かいました、下関に着いた時は、もう夜も更けていました。
(大力うどんのメニューですが、値段が安い事で人気のお店です、勿論、お味も上々ですよ)
(ざる蕎麦とカレーうどんをいただきました)
(婚約40周年記念を締めくくる関門橋のライトアップです)
🚙今回は、NEXCO西日本の「みち旅•ぎゅぎゅっと九州まんきつプラン•ドライブパス」の北部九州乗り放題プラン」を利用して、2日間、エリア内の高速道路が乗り放題でしたので助かりました、高速道路を利用して車で旅をする時は重宝しますね。
💑次回は、この婚約40周年記念旅行でお世話になった通算398泊目のお宿をご紹介申し上げます、いよいよ400泊目も秒読みに入って来ました、こちらも今から楽しみです。
💑長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。