2025年5月4日
高知駅前でトヨタアクアを返却し、とさでん交通で「はりまや橋」まで移動しました。
そして、「松栄(しょうえい)第二別館」という観光旅館兼ビジネス旅館(3つ星ホテル)に宿泊しました。
大型連休なので、よく予約ができたというところです。(この画像は2025年5月5日の撮影です)
2025年5月4日
右奥が筆山公園で、左端の建物が「リバーサイドホテル松栄(しょうえい)」です。
「松栄第二別館」は鏡川の畔(ほとり)にあり、景観としては良い場所でした。
2025年5月5日
早朝に「松栄第二別館」から撮影した一コマです。とさでん交通の電車も走る潮江橋が見えていました。
ツタ(?)に覆われた廃屋が気になりました。
廃屋の右側は「リバーサイドホテル松栄(2つ星ホテル)」といい、今回宿泊した「松栄第二別館(3つ星ホテル)」と同じ経営者の宿泊施設です。
「松栄第二別館」から見た風景です。天神大橋が写っています。
潮江橋を走る「とさでん交通」の「アンパンマンミュージアムPR路面電車(600形612号)」です。
「とさでん交通」で高知駅前まで行き、再びカーシェアでトヨタアクア(ハイブリッド)を借りました。
そしてトヨタアクアで高知県立牧野植物園に向かいました。
大型連休なので、来場者が多く、私が駐車した第2駐車場も、すぐに満車になりました。
高知が生んだ「日本の植物分類学の父」牧野富太郎博士(1862年5月~1957年1月)の業績を顕彰するため、博士逝去の翌年、1958年(昭和33年)4月に高知市の五台山に開園したのが高知県立牧野植物園です。 起伏を活かした約8haの園地には、博士ゆかりの野生植物や園芸植物など3,000種類以上が四季を彩り、自然の中で植物に出会う喜びを感じることができます。
高知県立牧野植物園の地図です。
牧野植物園は、1984年頃に家族旅行で見学したことがあるので、今回が2回目の訪問でした。
その家族旅行のときには高知市内の旅館「三翠園(4つ星ホテル)」に泊まりました。
牧野植物園の園内です。
ネモフィラが満開でした。
カレンデュラ(キンセンカ)も満開でした。
キンギョソウまたはルピナスでしょうか。
こんこん山広場です。
高知県立牧野植物園は標高130mの五台山にあります。
こんこん山広場から見た高知市の平野部です。
高知親局送信所が見えました。
高知親局送信所(こうちおやきょくそうしんしょ)は高知県高知市に位置するテレビジョン放送とFMラジオ放送の親局です。送信場所は高知市内3ヶ所、五台山、烏帽子山、柏尾山に存在します。
牧野植物園の「こんこん山広場展望台」です。
ツツジが咲いていました。
植物学者だった井上浩博士の顕彰碑です。
高知県生まれの井上 浩(いのうえ ひろし、1932年3月30日 - 1989年12月29日)は、日本の植物学者でした。蘚苔類の分類が専門であり、ナンジャモンジャゴケの発見や命名を行ったことでもその名を知られています。
天皇陛下(昭和天皇)から1957年(昭和32年)に下賜された吹上御苑のヤマザクラの記念碑です。
1948年(昭和23年)10月7日に、植物学者である牧野富太郎が皇居に招かれ、昭和天皇に植物学についてご進講しました。この時、牧野は86歳でした。また、昭和天皇の植物標本を最初に鑑定したのも牧野であり、その標本は現在も昭和記念筑波研究資料館に収められています。
「雑草という草はない」は、元々は牧野富太郎の言葉ですが、昭和天皇も使われました。
(2023年4月3日のサンデー毎日の記事へのリンクです)
温室の内部です。
「花あれバこそ 吾れも在り」の碑です。作者名が「牧野結網(まきの けつもう)」になっているのは、それが牧野富太郎博士の雅号であるからです。
牧野富太郎博士の雅号(がごう)は「結網(けつもう)」です。これは、中国の古い本にある「淵に臨みて魚を羨むは退きて網を結ぶに如かず」から来ています。意味は「岸辺に立って魚が欲しいとただ眺めていても魚は捕れない。そんなことより、家に帰って、例え時間がかかっても魚を捕る網を編むべきだ。」です。つまり、夢ばかり追うのではなく、目的達成のために具体的な努力をすべきであるという戒めです。これは植物研究一筋の一生を送られた博士自身の生き方を示しています。
牧野植物園の南園温室です。たいへん立派な建物でした。
牧野富太郎博士の銅像です。
愛の花 - あいみょん(フル)NHK連続テレビ小説「らんまん」主題歌 (high_note Music Lounge)
カンシロギクでしょうか。
マツバギクです。
昼食は牧野植物園のC.L.GARDENでいただきました。(多客時期のため入店までに45分待ちでした)
この後、トヨタアクアで高知駅前まで戻りました。
(つづく)