今回は、大阪城公園の「あじさい・うつぎ園」まで行った日の画像です。
撮影日は2023年6月24日(土)でした。
大阪環状線の森ノ宮駅に着いたところです。
森ノ宮駅から大阪城公園に入っていきました。
大阪城公園です。サルビア・ミクロフィラが咲いていました。
大阪城公園のロードトレイン「さくら号」です。
スペインの「サンティアゴ ・ デ ・ コンポステーラ」のロードトレインを思い出しました。
大阪城音楽堂付近の階段です。サクラのシーズンとは異なり、人通りが少なかったです。
(参考画像)2023年3月27日に同じ場所で撮影した画像です。
夾竹桃(キョウチクトウ)の花が咲き始めていました。
「あじさい・うつぎ園」に着きました。
ここでのアジサイ撮影は初めてでした。
曇天ですが、「あじさい・うつぎ園」での撮影画像を何点か貼り付けておきます。
「あじさい・うつぎ園」の画像は以上です。
大阪城六番櫓付近の大阪城南外堀です。
NHK大阪放送局(JOBK)を見ながら馬場町から法円坂へ。
何十年ぶりかで「史跡・難波宮跡」を歩きました。
難波宮大極殿跡です。
難波宮(なにわのみや)は、弥生時代後期から古墳時代にかけて応神天皇の行宮である難波大隈宮、大王(オオキミ)と呼称された倭国の首長であり河内王朝の始祖である仁徳天皇の皇居である難波高津宮、飛鳥時代から奈良時代にかけて再び難波(現代の大阪市)に都が戻り現代の法円坂周辺に造作された古代の宮殿の総称です。645年から793年までの約150年間皇都でした。天皇の住まい、政治、儀式の場をはっきりした構造は難波宮が最初であり後の宮にも採用されました。また、難波宮から日本という国号、元号の使用が始まったとされ孝徳天皇は改新の詔を発し、その第2条で初修京師として難波宮を日本初の首都としています。大王と呼称された倭国の首長である仁徳天皇の難波高津宮も難波宮が作られた周辺にあったとする説が最も有力な説とみなされています。
難波宮大極殿跡の壇上で撮影した画像です。
宮脇俊三氏が「古代史紀行」の旅で、ここを訪れたのは1988年(昭和63年)3月24日のことでした。
(おしまい)