大仏鉄道の廃線跡を歩く(後編) | 鉄道で行く旅

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大仏鉄道の廃線跡を歩くの後編です。

↓梶ケ谷隧道や赤橋付近の地図です。

 

今回の後編は、梶ケ谷隧道から赤橋まで歩いた後の撮影からです。

赤橋です。

 

赤橋は、御影石と煉瓦を組み合わせて造られています。長短の赤煉瓦を交互に積むイギリス式です。大仏鉄道の遺構の中でも最も代表的なもので、今も現役で上を車道が通っています。

 

井関川橋梁跡付近です。

交差点辺りが築堤で井関川トンネルがあったそうですが、今は開発によってその姿を見ることができません。交差点から南北に延びる道が大仏鉄道の軌道跡です。

 

沿道に設置されている関西鉄道の社章のモニュメントです。

 

(参考画像)2018年9月にJR草津線国分橋梁(現役の橋梁)で撮影した関西鉄道の社章です。

 

松谷川隧道(橋梁)です。

交差点下の畑地へ下ると松谷川隧道の遺構が残っています。
松谷川隧道の上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。

 

松谷川隧道(橋梁)の内部です。

ここまでが京都府木津川市で、ここから下の画像が奈良市内です。

 

鹿川隧道です。

鹿川隧道は、農業用水路の目的で造られた隧道(橋梁)で、今も水路として使われています。細いトンネルですが、とてもきれいな石組みでできています。鹿川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。

 

この日の昼食場所として利用した国境食堂です。

 

国境食堂の名物は「2.5倍盛り」のカツ丼(大)なのですが、今回は普通サイズのカツ丼にしておきました。

 

↓松谷川隧道や鹿川隧道付近の地図です。

 

現在は切り通しの道路になっていて、昔の面影が全くない黒髪山トンネル跡です。

 

黒髪山トンネル跡は、明治41年(1908年)に大仏鉄道が廃止されたその後も残っていましたが、昭和39年(1964年)の道路拡張に伴い、山を切り開きトンネルは取り壊されました。トンネル入口にあった関西鉄道の社章は京都鉄道博物館に保存されています。

 

↓大仏鉄道記念公園付近の地図です。

 

大仏鉄道記念公園です。

 

大仏駅跡を記念する公園「大佛鐵道記念公園」です。機関車の動輪モニュメントと説明碑があります。

関西鉄道大仏駅について】
明治28年、草津・名古屋間を全通した関西鉄道は、柘植(つげ)から大阪方面への進出を計り、2年後の明治30年11月に加茂まで開通した。ここから梅谷を経由して黒髪山トンネルを下り明治31年4月、この地の北側法蓬の交番所の南あたりに大仏駅を設置した。この鉄道は市民、観光客にも親しまれ大仏詣での人たちもこの駅で下車し、一条通りを通って東大寺に参拝していた。奈良駅にはその年の12月到達したが乗り入れが実現したのは翌明治32年5月であった。その後線路が木津経由に変更となり明治40年8月までの約9年間で廃止された。昭和39年頃まではトンネルも残っていたが、現在は取り壊されて当時の面影は今は見られない。
平成4年4月 奈良市(モニュメント横の碑文より)

 

下長慶橋です。

船橋商店街内、佐保川に架かる下長慶橋の川底より平成19年(2007年)大仏鉄道鉄橋跡の煉瓦橋脚(佐保川橋梁)の基底部が発見されました。

 

JR奈良駅に着きました。

 

JR奈良駅の旧駅舎です。現在は、奈良市総合観光案内所になっています。

 

JR奈良駅から大和路快速に乗り、大阪駅まで帰りました。

 

(参考画像)2019年11月にJR奈良駅から新大阪駅まで乗車した臨時特急まほろば(287系)です。

(おわり)