北品川にある井上勝の墓 | 鉄道で行く旅

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品川区北品川にある井上勝の墓まで行ってきました。

 

横浜駅から京急川崎駅まで乗車した京急2100形の快特です。

 

京急川崎駅で1000形の普通電車に乗り換えて新馬場駅(しんばんばえき)へ。

 

新馬場駅から東海寺大山墓地まで歩きました。

 

山手通りに道端にあった、墓地に向かう道の案内板です。東海寺大山墓地には、有名人の墓がいくつかあります。

北品川の東海寺は寛永16年(1639年)に、三代将軍徳川家光が、沢庵宗彭(1573年~1646年)のために創建した臨済宗大徳寺派の寺院です。

 

「史跡 沢庵墓」がありました。(墓には立ち寄りませんでした)

 

東海寺大山墓地の入口です。東海道新幹線が通過していきました。

 

墓地の中に、「井上勝墓」への道案内が出ていました。

 

井上勝の墓の横を走る東海道新幹線です。

1982年 クオリ発行「鉄道記念物の旅」・中川浩一(1931年~2008年) 著からの引用です。

井上勝が東海寺に墓地を選んだのは、そこが東海道線と山手線の双方ともに見下ろす位置にあり、死後も鉄路の看守でありたいとの意思を持ったからであるという。
そうであるならば、山手線に沿って東海道新幹線も通過する現状は、満足至極であるだろう。
東海道新幹線のルート設定に当たり、井上勝の墓を移転する案が当初は建てられたものの、なんとか現状を維持しえないかとの議論が有力になり、その結果、山手線を移設して対処する設計が確定し、高輪台地の崖を大規模に切削することになったと、『鉄道記念物ものがたり』(1967年・日本国有鉄道)は記している。

 

井上勝の墓の近くにあった立派な墓です。

戒名は「寶婕院千代歌愛大姉」と書いてありました。墓碑の裏側を見たら、北品川出身の島倉千代子さんの墓でした。本人が生前に建てた墓ということです。

島倉千代子さんといえば、青物横丁駅(品川区南品川)の接近メロディーになっている「人生いろいろ」を思い出しました。

♪人生いろいろ 男もいろいろ 女だっていろいろ 咲き乱れるの

 

井上勝の墓の近くにある鉄道記念物であることを示す石碑です。墓そのものが鉄道記念物に指定されているのです。

 

初代鉄道頭

 井上 勝 1843(天保14)年~1910(明治43)年
”鉄道の父”と称される井上勝は、萩藩士の三男として生まれた。15才から長崎、江戸で学び、1863(文久3)年 井上馨、伊藤博文らとともにイギリスに密航し、鉄道と鉱山技術を学ぶ。日本の鉄道建設に最初から関わり、1871(明治4)年には初代鉄道頭となり、1872(明治5)年、新橋・横浜間の鉄道を完成させた。その後、鉄道局長、鉄道庁長官を歴任して、東海道線をはじめとする主要路線の建設に努めるなど、生涯を鉄道に捧げた。外国から導入した鉄道を、日本の鉄道として発展させた功績は多大である。生前、自らの墓地は東海道本線と山手線(現在は新幹線も並走)に挟まれたこの地を選んだのは、死後も鉄道を見守っていたいという意向からであったと伝えられている。

 

井上勝の墓です。

正二位勲一等 子爵 井上勝
子爵夫人 井上宇佐子
故陸軍工兵大尉 正五位勲五等 井上亥六(井上勝の子息で陸軍工兵大尉。父に先立って死去)

 

墓の画像だけでは淋しいので、移動途中に撮影した京急の画像を入れておきます。

京急1500形です。

 

京急1000形です。

 

京急1000形です。京急川崎駅で撮影した三崎口行の快特でした。

(「泉岳寺と旧新橋停車場」につづく)