加賀屋新田会所跡の見学記 | 鉄道で行く旅

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今回は、大阪市住之江区南加賀屋にある加賀屋新田会所跡の見学記です。

加賀屋新田会所は、宝暦4年(1754年)に大坂淡路町の両替商だった加賀屋甚兵衛が大和川の河口付近で干拓を行った新田会所の跡地ということになります。

難波駅から南海本線7100系の普通電車に乗りました。

 

南海本線の住ノ江駅に着きました。今回は個人的な趣味により南海電車を利用しました。

ご参考までですが、加賀屋新田会所跡の最寄り駅は「Osaka Metro」の四つ橋線の住之江公園駅です。

 

住ノ江駅の隣接地にある住ノ江検車区です。

 

住ノ江駅を出た後、地上から見た高架線になっている住ノ江検車区です。2000年7月の車両暴走脱線事故を、ふと思い出しました。

 

北島通商店街を歩いていきます。

 

加賀屋新田会所跡の出入口の長屋門(火災後に再建)です。この加賀屋新田会所跡は大阪市指定文化財になっており、見学は無料です。

 

冠木門です。加賀屋新田会所は大徳寺とつながりがあり、冠木門の瓦には、大徳寺から拝領した瓦のデザインを模したアーチ形の瓦が使われています。扁額の文字は相国寺の有馬頼底管長が揮毫したもので、「古見堂」と書いてあります。「古見堂」の意味は「古きを訪ねて新しきを知る」だということでした。

 

旧書院の扁額に記された「祥鐘福集」は、「めでたいことを集め 福を集める」という意味だということです。

 

江戸時代に、この場所で新田の土地開発(干拓)を行った「加賀屋」の名前が、2020年現在の大阪市住之江区の「加賀屋」という地名にそのまま使われています。さらに地名だけではなく、Osaka Metroの四つ橋線「北加賀屋駅」の駅名にも「加賀屋」の名前が使われているのです。

 

宝暦4年(1764年)に建築された旧書院の内部の座敷です。

 

茶室の鳳鳴亭です。

 

庭から眺めた鳳鳴亭です。高床式の舞台造りです。

 

居宅部分にある井戸と炊事場です。

 

思いのほか広大な庭園でした。この施設の入口で配布されているパンフレットには「加賀屋緑地」と書いてありました。

この会所は新田の経営拠点だったのですが、それと同時に文人墨客が集まるサロンになっていたのです。

 

枯山水ではなく庭園には池があり、水も流れています。

 

庭園の中で一番高い場所にある四阿(あずまや)の明霞亭です。太平洋戦争後の建築です。

 

待屋(腰掛待合)の偶然亭です。これも復元された建築物です。

 

加賀屋新田会所の土蔵です。

加賀屋新田は、鴻池新田や安中新田のような大和川の付け替えによる河川跡地の新田とは異なり、土砂が堆積している大和川の河口付近の干潟(ひがた)を干拓(かんたく)する方式の新田でした。

 

住ノ江駅から難波駅への帰りは南海本線の2000系(2扉車)に乗車しました。

(おわり)