今回は1998年(平成10年)7月の高知の旅の画像です。
まだ高架になる前の高知駅付近を走るキハ54形です。
高架化後の高知駅です。(2019年3月)
高知駅付近連続立体交差事業(JR土讃線)による高知駅付近の高架化は2008年2月に完了しています。
1998年に撮影した昔の高知駅です。私は、いまだに高知駅といえば、この昔の駅を思い出してしまいます。
「デジタルツーカー四国」などの懐かしい看板が出ています。
昔の跨線橋から見た高知駅裏です。(1998年)
14系客車も写っています。
「かずみ」様からコメントで「ムーンライト高知の12系の基本3両編成ではないでしょうか。全席グリーンなので極まれに普通車増結のため14系が付いたらしいですが、拡大したところ昇降窓に見えます。ムーンライト高知は1号車は電源車なので喧しく、慣れると3号車を指定したものです。」というご指摘をいただきましたので再確認しました。
これは高知県の方ならではの、理にかなったご指摘でして、高知運転所に所属していた「ムーンライト高知」の基本編成は12系客車を改造したグリーン車のオロ12でした。
問題の画像を部分拡大したところ、高知運転所には所属しない『極まれに普通車増結のため14系(これも「かずみ」様のコメントの引用です)』だったようです。グリーン車マークも見当たりませんでした。
高松運転所に所属していた団臨用の14系客車も四国には存在しましたが(現在は東武鉄道のSL大樹用になっている車両です)、高知駅構内に停められていた、この14系はJR西日本宮原総合運転所所属の14系座席車(ムーンライト高知の増結車)のようです。
たしか、2020年の夏は中止が決まった「よさこい祭り」の提灯が、この1998年7月後半には駅前や三翠園の玄関にも飾ってありましたので、夏休みの多客時のピークだったのだと思います。
高知駅の古い写真から、2018年に乗車した東武鉄道のSL大樹の14系客車を思い出しました。
これは元JR四国の車両(遡るとJR東海の車両ですが)ではありますがムーンライト高知とは関係のない高松運転所の団臨用車両でした。
土佐電気鉄道(2014年10月以降は「とさでん交通」)の1998年当時の高知駅の「電車おりば」です。(1998年)
当時は、高知駅の直近ではなく、駅前で右折して高知県道384号線(昔の国道32号線だったところ)の南側に『土電』の高知駅電停がありました。
現在は高知県道384号線を横断し、高知駅まで直進しています。
車両の奥が昔の高知駅です。(1998年)
右折した後の突き当たりに「土電」の高知駅の「電車のりば」がありました。
2019年3月に撮影した高知駅(高架駅)です。
現在は高知駅のすぐ前に「とさでん交通」の電停があり、たいへん便利になっています。(2019年3月)
はりまや橋付近です。(1998年)
はりまや交差点を走る7型の復元(レプリカ)車である「維新号」です。(1998年)
元は「とでん西武」でしたが、この1998年には「高知西武」になっていました。
高知西武は2002年の年末に閉店になり、2019年3月現在は『延田グループ』のパチンコ店になっています。(2019年)
このときは未乗区間だった桟橋通五丁目駅まで画像の電車に乗りました。(1998年)
もはや若い方には意味不明ですが、PHSのアステルが懐かしいです。
何となく桟橋車庫の外側から車庫の写真を撮っていたところ、たまたま出勤してきた「土電」の社員の方から「どうぞ、中に入って写真を撮ってください」と声を掛けられました。ここまで親切な会社(社員個人?)は初めてでした。
入庫してきた維新号です。(1998年)
電動貨車の「貨1形」ほかです。(1998年)
元ポルトガルのリスボン市電だっら533号です。(1998年7月撮影)
2007年に「土電」所有車から離脱し、現在は四国コカ・コーラ小松第二工場で静態保存されているそうです。
♪ポルトガルは ヨーロッパの果て そこから 海の始まるところ~
この車両も、元ポルトガルのリスボン市電だった910号です。(1998年)
土佐電気鉄道時代の735号です。(1998年)
この行先はシュツットガルトのサッカースタジアムがある「NeckarPark (Stadion)」です。
メルセデス・ベンツ博物館から見た「VfBシュトゥットガルト」のホームグラウンドであるシュツットガルトの「メルセデス・ベンツ・アレーナ」です。(2018年10月)
シュツットガルトのSバーンのネッカーパーク駅です。(2018年10月)
シュツットガルトのトラムです。現在は標準軌ですが、動態保存車のために一部の区間は画像のような3線軌条になっています。(1000mmと1435mmです。735号は日本に来た後で1000㎜から1067mmに改軌しています)
735号車は、1989年に開業85周年を迎えた土佐電気鉄道(現在のとさでん交通)が記念事業として世界の路面電車を自社線で走らせるために輸入した車両の1編成だったものです。土佐電気鉄道への入線に際して、ドイツのシュツットガルト時代の片運転台(終端がループ線方式)から両運転台(往復運転方式)に改造されたのと、台車も1000mmから1067mm用に改造されました。その後、土佐の高知では故障が多かったなどの事情により休車状態となっていた同車を福井県が観光資源として有償で譲り受けたものが福井鉄道の「レトラム」になっている同車です。
高知で、この車両を見た21年後に福井で同車に乗車しました。(2019年10月)
735号の運転席です。(2019年10月 福井鉄道)
735号の車内です。(2019年10月 福井鉄道)
1998年は私がフィルムカメラを実用で使っていた最晩年に近い年でした。(1999年にメイン機としてはファイルカメラの使用を停止)
2コマほど36枚撮りのフィルムが残っていたので撮った写真だと思います。
1980年代に家族で宿泊したことがある老舗旅館の三翠園です。
土佐藩主山内家下屋敷跡のため下屋敷長屋(国の重要文化財)が保存されています。
(おわり)