2009年プラハの旅(前編)タトラカーの巻 | 鉄道で行く旅・管理人のブログ
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新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大に伴い、2020年10月に予約を入れていたチェコとオーストラリアのホテルをキャンセルしました。中止前は、プラハ、ウィーンおよびザルツブルクに行く予定でした。

プラハとウィーンには2009年に下見程度に訪問したことがありますので、今回は2009年のプラハの旅の前編です。

このときの一番大きな撮影目的だったプラハ市電のタトラカー(タトラT3)です。

 

それではフランクフルト中央駅からのチェコのプラハへの旅の模様です。

2009年秋に滞在していたドイツのフランクフルトのホテルから日帰りでチェコのプラハに向かいました。

1等のベネルクス・ジャーマンレールパスを持っていましたのでフランクフルト・アム・マイン国際空港までDB(ドイツ鉄道)のインターシティーに乗車しました。

 

ドイツ鉄道のインターシティの1等車です。早朝なので空いていました。

フランクフルトの中心部から空港へはSバーンも便利です。そのSバーンを利用したこともありますが、私の好みによりドイツ鉄道(DB)を選択することが多かったのです。

 

フランクフルト・アム・マイン国際空港の鉄道駅側のルフトハンザ航空のチェックイン機です。この機械で搭乗券を発券しました。

 

このときにフランクフルト・アム・マイン国際空港で見たA321-200のルフトハンザ航空の旧塗装復刻デザイン機です。

 

フランクフルト・アム・マイン国際空港からルフトハンザ航空のA319に搭乗しプラハ国際空港に向かいました。

この部分はマイル利用ではなくルフトハンザ航空の格安航空券を利用しました。

チェコはシェンゲン協定加盟国ですので、ドイツ(を含む協定国)からの移動では無査証で入出国審査もありません。

 

プラハ国際空港で通貨のユーロを「チェコ・コルナ(チェコの通貨)」に換金した後、プラハの公共交通の1日乗車券を購入しました。

そして、プラハの旧市街地までバスで移動しました。

 

ここからが初訪問だったプラハ市内です。

ナ・フロレンツィ付近を走るプラハ市電のタトラカー(タトラT3)です。

 

プラハマサリク駅で撮影したチェコ鉄道の471系電車です。ダブルデッカー車両で愛称は「シティエレファント」と言います。

 

タトラT6A5です。共産主義時代に開発が始まったタトラカーの次世代車でしたが、車両がデビューしたのは1989年のビロード革命の後でした。

 

共産主義時代の末期に製造されたタトラKT8D5です。

 

ポルシェデザインのプラハ市電「シュコダ14T」です。

2020年現在のプラハ市電の最新車両は2008年に試作され、2009年から量産されている「シュコダ15T」です。

 

ヴァーツラフ広場を横断するプラハ市電のタトラカー(タトラT3)です。

 

旧「チェコスロバキア」のタトラ国営会社スミーホフ工場は、1936年以降量産が行われていたアメリカの高性能路面電車PCCカーのライセンス生産契約を1947年に締結し、1951年に製造されたT1以降、1999年までの間に多数の車両が製造した車両工場でした。

このタトラカーが成功したのは、1949年にソ連主導で共産主義国家による経済協力機構である経済相互援助会議が結成されて以降、路面電車の標準型としてタトラ国営会社スミーホフ工場で製造された路面電車の「タトラカー」が供給されることとなったからです。これにより、主に東側諸国に向けてチェコ製の「タトラカー」が大量に生産されました。タトラカーを導入した国は旧東ドイツ、旧ソビエト連邦、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、ポーランド、北朝鮮ほかでした。

タトラ国営会社は1994年に民営化されたものの、共産圏諸国の市場を失ったために経営が悪化し、1998年に破産しました。車両製造事業はドイツの総合電機メーカーのシーメンス社に売却されています。

 

ドイツ(旧・東ドイツ)のライプツィヒのトラムの「タトラカー」です。旧東ドイツにも「タトラカー」が導入されたのです。(2015年9月)

 

2015年9月のドイツ(旧東ドイツ)・ライプツィヒ訪問時はタトラカー「T4D-M1」が活躍していました。

 

日本のPCCカー

東京都交通局が運営する路面電車である都電で使用されていた5500形のうち、5501はTRCとのライセンス契約の元でPCCカーの技術(オール・エレクトリック)を導入した車両であった。しかしライセンス料が高価であった事、部品の多くを輸入に頼る必要があった事に加え、従来の車両と仕様が大幅に異なる点が乗務員から不評を呼び、日本における純正PCCカーはこの1両のみとなった。

引用:「PCCカー」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。2020年4月8日14時(日本時間)現在での最新版を取得。

 

Transit Research Corporationとのライセンス契約により製造された日本の車両は東京都交通局の都電5500形のうちの5501号の1両だけでした。

都電5500形の中でも5501号(1両)以外はライセンス契約外の車両でしたので「PCCカー」ではなく、せいぜいのところ「和製PCCカー」の範疇です。

日本の純正PCCカーは、この5501号の1両だけでしたが、PCCカーに触発されて日本国内で製造された「無音電車(騒音が少ないという意味)」の「和製PCCカー(カルダン駆動や間接制御方式などを導入した路面電車)」については多数の車両が製造されました。

 

PCCカーよりも気になった都電7500形の車内の都電(12)(13)系統案内図です。

 

正式な「PCCカー」ではない「和製PCCカー」の例です。

大阪市交通局の3001形です。

 

名古屋市交通局(名古屋市電)の2000形です。

 

筑豊

遠賀川を渡る筑豊電気鉄道2000形です。西鉄の福岡市内線1001形(和製PCCカー)の譲渡車です。

 

阪堺電気軌道のモ501形です。

 

ヴァーツラフ広場に古い路面電車の廃車車両を並べた「Cafe Tramvaj」があります。

ヴァーツラフ広場は1968年の「プラハの春(チェコ事件)」や1989年の「ビロード革命」のときのデモの場所でもありました。

 

ヴァーツラフ広場は「プラハのシャンゼリゼ」と呼ばれているところです。

その「Cafe Tramvaj」でチェコビールを飲みました。チェコビールは喉越しがよく、日本人向きの美味しいビールです。このビールの代金は40コルナ(約213円でチップは別)でした。

チェコはチェコ語ですが、ウェイターが分かり易い英語で「勘定書にはチップ代は入っていないよ!(チップを忘れないでねという意味)」ということを強調していました。

(つづく)