飾磨津を歩く | 鉄道で行く旅

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今回の街歩きのタイトルの「飾磨津」は、姫路市教育委員会の資料から拝借したものです。

「飾磨津」は藩政時代の城下町姫路の外港として重要な場所だったところです。

飾磨駅で撮影した山陽網干線を走る6000系です。

 

山陽電鉄の飾磨駅です。かつては駅舎内の商業施設だった「山陽しかまショップ」が、今はもうシャッター通りになっていました。

 

飾磨津の中心地だった姫路市飾磨区玉地の向島まで歩きました。(飾磨区は元は飾磨市だったところが1946年に姫路市に吸収合併されたところです。姫路市は中核市であって政令指定都市ではありません)

 

江戸時代は姫路藩水軍の島(中州)だった向島に渡る野田川の向島橋です。

 

向島橋から見た野田川の下流です。突き当たりが水門で、水門の左側に水門を遮蔽したときに、押し寄せてくる水を排水するための「野田川排水機場」があります。

水門の手前の左側一帯が姫路藩の水軍組織の御船手組(おふなてぐみ)が置かれていたところです。

先日のNHKの「ブラタモリ」の街歩きが姫路城周辺でしたが、まさか飾磨まで取材するとは思っていませんでした。

どういうわけか「ブラタモリ」に先を越されてしまいました。(笑)

ただ、あの番組は、よく出来ていまして、姫路市教育委員会の資料よりも御船手組に関する説明が格段に分かりやすかったということを正直に記しておきます。

 

玉地の稲生(いなお)神社です。元々は御船役所にあった神社でしたが、1859年(安政6年)に現在地に移転しています。

 

その稲生神社の境内にある手水鉢(井筒)です。この手水鉢は江戸時代に御船役所から神社に寄進されたもので、姫路藩の小船頭や勘定役を勤めた経歴を持つ「下里平太」の名で1862年に奉納されたものだということです。飾磨の御船手役と関係し、しかも市中に現存するものとしては唯一の物体のようです。手水鉢には「洗心」ではなく「水緑」という文字が彫られています。これは「みろく」と読ませるのでしょうか。

 

「野田川排水機場」のところの水門です。一般人も通行可能になっていたので歩いてみました。地元の人々の近道になっているようです。

 

藩政時代であれば「御触れ」です。

江戸時代風に意訳すると「閉鎖していないときは通行しても構わぬが、当藩は事故があっても責任を持たぬゆえ、気をつけて通りなされい」というところでしょうか。

 

水門から見た野田川の上流です。右奥が姫路藩の御船役所の跡地です。

 

右側の屋根のところが姫路藩の水軍である御船役所の跡地の一部です。「ブラタモリ」御一行様が許可を得て入っていったところです。まあ、吾輩は一介の素浪人でございますので、入ることができません。

 

姫路藩の水軍御船役所之址の石碑です。

 

 

向島の御船役所の水路跡の一部が残っています。姫路藩水軍の軍船は年代により変動があったようですが約60隻で、御船手組の定員が約200名でした。御船手組の藩士は、俸禄の石高こそ低かったものの、下級武士(卒・足軽)ではなく士分の待遇を受けていました。

 

天満神社(恵美酒宮)です。

 

天満神社の南側です。姫路藩の米蔵は6カ所ありました。そのうちの一つが飾磨の米蔵です。船場川と宮堀川の水運を利用して物資を運んでいました。

 

飾磨の姫路藩の蔵跡です。右側の石碑は、1946年に姫路市が周囲の7市町村を合併するまで存在した、かつての飾磨市役所は、その御蔵跡に建てられていました。

 

浜の宮天満宮です。歴史的には漁業関係者の信者が多かったようです。画像は絵馬堂と紅葉です。

 

野田川の河口に向かって歩きました。画像は河口側から見た上流です。赤い看板がイオンモール姫路リバーシティーです。上の橋は飾磨臨海大橋です。

 

旧国鉄の飾磨港駅の跡地です。「飾磨港」は1951年の段階で広畑港とともに姫路港に統合されたのですが、愛称のような形で「飾磨港」も存続していたようです。

 

ということで、飾磨港ではなく姫路港ポートセンタービルです。

 

飾磨港の前身である湛保(たんぽ)築港を1864年(弘化3年)に築いたのが藤田祐右衛門惟昌(肥料問屋の主人でした。藤田惟昌は町人ですが、築港を作り終えた功績により姫路藩から大年寄(町村の指導役)格を命ぜられ、苗字の使用も許されていました。そのときの築港は丸亀港を参考にして築いたそうです。

その藤田惟昌を顕彰する石碑が入江の防波堤のようなところに建っています。

藤田惟昌顕彰碑がある防波堤の横から見た姫路港(旧・飾磨港)です。姫路と家島諸島を結ぶ坊勢(ぼうぜ)汽船の「ぼうぜ2」が入港するところです。

 

偶然にもオリーブラインのフェリーの姫路港入港風景を撮影することができました。

姫路港から小豆島(福田)まで1時間40分で行けるようです。小豆島は若かりし頃に合宿研修で一度だけ行ったことがあります。そのときは岡山から船に乗って土庄(とのしょう)の港から小豆島に上陸しました。

 

姫路港からの帰りは神姫バスを利用しました。飾磨駅から山陽5000系の直通特急で阪神電車の大阪梅田駅まで帰りました。

(おわり)