鍛冶屋線の廃線跡歩きの続きです。今回は曽我井から羽安までです。
曽我井駅跡を後にしました。
ここで多可町が終わり西脇市に入っていきます。
鍛冶屋線跡の近くにあった六地蔵です。ふと「まんが日本昔ばなし」の『笠地蔵』を思い出しました。
杉原川に沿って右に曲がっていくところです。このあたりは羽安町です。
直進すると西脇で左折すると黒田官兵衛ゆかりの黒田庄です。かつての姫路競馬の『黒田庄ビーフ特別』を思い出しました。
この日の朝に姫路グリーンバスで通過した兵庫県道296号(中安田市原線)の橋から見た杉原川の下流です。
これは杉原川の上流です。この日の朝に私が鍛冶屋まで乗った姫路グリーンバスは兵庫県道296号(中安田市原線)から兵庫県道139号(山南多可線)に進んでいきました。
その羽安町の交差点から市原東交差点に向かう道です。最近まで鍛冶屋線の廃線跡の痕跡が残っていたところまで道路が拡幅され通学用と思われる自転車道が整備されていました。実際に、西脇市内の学校から帰宅する生徒がヘルメットを着用して自転車で走り抜けていました。その中に、私に向かって『こんにちは』という自然な挨拶をしていく女学生が何人かいました。
羽安町にある、方位の吉凶を司るとされる八将神の一人を祭る「大将軍神社」です。
鍛冶屋線の羽安駅があったところの、すぐ近くです。
羽安駅跡に作られた駅舎をイメージした休憩所(駅舎を取り壊した後に新造)です。
これも昔の駅名標を再現した真新しい「羽安駅」の駅名標です。
自転車道が整備された区間の歩道には星座に関するモニュメントがある「星の遊歩道」になっていました。
羽安駅の跡地のパネルに在りし日の鍛冶屋線の写真がありました。
一番上は、先ほど見た六地蔵とキハ40形の写真でした。
昭和30年代後半の鍛冶屋線西脇駅(西脇駅が西脇市の中心駅でした)の全盛期の写真やC12が客車を牽引していた頃の写真です。
(つづく)