昨日の午前はクリニックの検診日でしたので、検診後に大阪メトロ扇町駅から高槻市に移動して昼食をとりました。
淡路駅で見た、正雀工場に入場するものと思われる5000系の回送列車です。
昼食後にJR高槻駅から新快速で京都駅に向かいました。
いつもの京都駅です。
京都駅から七条通に出て西本願寺に向かいました。この通りを走る京都市電に何度も乗ったことを思い出しました。
京都市電最終運行日の京都駅前です。東大路を中心に撮影した最後に京都駅まで歩いたのですが、こうのような大混雑状態でした。(1978年9月30日)
この後、153系の新快速で大阪まで帰ったはずです。
現在の西本願寺付近です。
先ずは、初訪問の龍谷大学(西本願寺系列の学校法人)の大宮キャンパスです。ここには重要文化財の建築があります。この門扉も重要文化財です。
門を入った右側にある守衛所で入場を許可してもらってから学舎内に入りました。建物の外観の撮影はOKですが建物内への入室は禁止ということです。
1879年(明治12年)2月に建築された旧守衛所です。現在は龍大のオリジナルグッズ展示館として活用されています。
これも1879年に建てられた大宮学舎本館です。元々は講堂だったそうです。
この本館の建築の凄いところは、純粋な洋風建築ではなく、明治初期の日本の大工さんたちが作った点です。
龍谷大学によりますと、一般に「擬洋風建築」といわれ、完全な洋風の建築技術がまだ日本に定着する前の、和洋折衷を取り入れざるを得なかった頃の貴重な建造物で、次のような特徴を持っています。外観上、石の柱が立ち並び、あたかも石造や煉瓦造のような印象を与えますが、実際は木造で石材は柱などの木部に貼り付けられています。これを「木造石貼り」といい、比較的早い時期に外国人が居住した横浜などで用いられましたが、現存するのは本館(引用者注:龍谷大学大宮キャンパス本館のこと)のみです。木造部分はほぼ日本の伝統的な工法によっていますが、補強にボルトなどの金物が数多く用いられ、また屋根を支える小屋組にキングポスト構造が採用されるなど、洋風建築技術も取り入れられています。
とあります。
設計者も不詳ということですので、無名ながらも、腕利きの大工さんの大作だったのでしょう。
本館の両側にあるのが同時に建てられた北黌(ほっこう)と南黌(なんこう)です。現在は北黌・南黌ともに校舎として使われていますが、元々は寮の建物でした。画像は北黌です。
こちらは南黌(なんこう)です。これを見て思い出したのはシンガポールのラッフルズホテルのパームコートでした。
これらの建築は大学の現役の学舎(校舎)として今も使われています。もしも現役でなければ明治村に保存されるような建築物だと思います。
本館と南黌(なんこう)を結んでいる渡り廊下です。軒飾りも凝ったデザインです。
本館の北側の窓です。
北黌(ほっこう)の西側の通路です。これもまた京都市電の板石舗装を転用したと思われる敷石です。
現存する建築物の歴史が東本願寺(真宗本廟)よりも古く、建造物でも御影堂(ごえいどう)、阿弥陀堂、飛雲閣、唐門、北能舞台、書院などが国宝に指定されているほか、世界遺産にも登録されている西本願寺(龍谷山・本願寺)です。
カフェやショップもある龍谷ミュージアムの中を通って東本願寺に向かいました。
その途中にある本願寺伝道院です。この建物は西本願寺の信徒向けの生命保険会社だった「真宗信徒生命保険株式会社本館」として1912年(
東本願寺と西本願寺の間にある蛭子水町(えびすみずちょう)の小さな蛭子神社です。
東本願寺の北側の壁と道路の間の風景です。
その道路の北側の東本願寺の「真宗教化センターしんらん交流館」があります。この中にレストランがあり京都ホテルオークラオリゾンテの料理を食べることができるようです。
このほど、ようやく東本願寺の建築物の「御影堂」「阿弥陀堂」「御影堂門」「阿弥陀堂門」「鐘楼」「手水屋形」が重要文化財に指定されました。中でも画像の「御影堂(重要文化財)」は建築面積が世界最大の木造建築です。
「御影堂」は京都の東本願寺と西本願寺では「みえいどう」ではなく「ごえいどう」と発音します。
(東本願寺の重要文化財指定は令和元年9月30日の「官報告示号外第126号」の文部科学省告示第71号によるものです)
また同じ官報の「文部科学省告示第70号」により長野県松本市の旧開智学校校舎の国宝指定の告示がありました。
2018年9月に撮影した長野県松本市の旧開智学校校舎(1876年)です。ついに国宝になりました。ヽ(゚´Д`)ノ゚
この開智学校も擬洋風建築です。
この日の行程に、やや満足しながら京都駅から新快速で大阪まで帰りました。
京都市電大宮線の架線柱が今も残る大宮跨線橋を通過するときに先発の「特急はるか」を追い抜きました。
付録:思い出の153系時代の新快速です。(大阪駅・1974年頃)
2004年10月の「鉄道の日関連行事」としてJR西日本が実施した新快速車両の復刻運転です。
1970年運行開始の113系の初代・新快速です。(本物の初代・新快速のデビュー当時はスカ色の編成でした)
1980年に運行を開始した117系の3代目・新快速です。
2代目・新快速車両の153系は1980年に運行を終了(廃車)していため復刻運転は不可能でした。
(おしまい)