加古川線(1986年) | 鉄道で行く旅

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今から1年前に「昔撮った加古川線の赤11号一色のキハ37の画像が自宅にあるはずなので、また改めて、昔の国鉄加古川線の画像集を公開したいと思います」と書いたのですが、その画像が見つかりましたので、今回はその画像を使った投稿です。

国鉄時代の福知山線谷川駅で撮ったキハ37-1001です。まだ後の加古川線用緑色塗装になる前の塗装色です。

キハ37は国鉄時代末期に当時のキハ40の次世代気動車として製造された車両ですが、試作的な要素が強い量産先行車(量産は見送り)であり、実際に新製されたキハ37は久留里線用に3両、加古川線用に2両の合計で5両だけの珍車でした。

 

2018年4月に水島臨海鉄道で撮影した久留里線から移籍したキハ37です。(水島臨海鉄道移籍後に首都圏色よりも昔の旧国鉄一般気動車塗装に変更)です。

 

1986年4月に撮った谷川駅です。福知山線は工事中の電化用トラスビームが写っていますが、まだ福知山線が電化になる前ですのでオハ12系客車の福知山線普通列車が写っています。

 

2019年1月に撮った現在の谷川駅加古川線ホームです。福知山線も加古川線も今は電化されています。

 

谷川駅発の列車に乗って当時の野村駅(現在の西脇市駅)まで移動しました。このときの編成はキハ37+キハ23でした。

分かり難いですけれど、キハ37が赤色11号の塗装で、キハ23は朱色4号という(赤色11号よりも少しだけ地味な色の)塗装です。一般形気動車の朱色4号への塗装変更が首都圏から始まったため、当時は「首都圏色」と呼ばれていました。

 

加古川線野村駅(現在の西脇市駅)です。

 

2019年1月に撮影した同じ場所である駅名改称後・電化後の西脇市駅です。

 

1986年の画像です。まだ廃止されていなかった鍛冶屋線の鍛冶屋行に乗り換えました。

 

このキハ20に乗り換えて鍛冶屋駅まで行き、鍛冶屋駅で硬券入場券を買った記憶があります。

 

その鍛冶屋駅の入場券は探してみたものの見つかりませんでした。そこで鍛冶屋駅入場券の代わりに当時のコレクションの一部を紹介します。

これは自身で乗った記憶がありませんので、おそらく、昔の友人からもらったものです。

岐阜県中津川市の中津川町と付知町(当時は恵那郡)を結んでいた北恵那鉄道(1978年廃止)の創立50周年記念乗車券です。

 

名松線伊勢奥津駅の入場券と西鉄学校前発の乗車券です。

 

【追加画像】

鍛冶屋駅や野村駅(現在の西脇市駅)の入場券が見つかりましたので画像を追加します。

 

伊勢奥津

伊勢奥津駅(1986年)

 

西鉄学校前駅(1985年)

 

急行銀河の急行券・A寝台券です。(1985年)

急行銀河の急行券・A寝台券はマルス発券ですが、まだドットインパクトのシリアルプリンター(漢字非対応の英数カナ印字)を使っていました。読者情報では、これは「L型マルス券」というもので、1985年3月に稼働したマルス301時代のマルス券だということです。そういえば、駅員がピンを差し込むパタパタ式のマルス端末機でした。

 

そのときの急行銀河のオロネ14のA寝台下段です。

 

1987年に直方駅で購入した国鉄時代の青春18きっぷです。当時は5枚がバラバラで、今よりも利用の自由度が高かったことを思い出しました。「ホーバー」というのは急行券(船急行券とかホーバー券とも言っていた)が必要だった宇高航路のホーバークラフトのことです。一度だけ乗ったことがあります。定員制の自由席で座席にシートベルトがありました。宇高連絡船よりも速達性があり、人気が高かったと思います。

さすがに1982年の初代「青春18のびのびきっぷ」は私自身は買いませんでした。その「青春18のびのびきっぷ」を友人に見せてもらったことはあります。そのときに、今ではお笑いネタでしかない「青春18ワッペン」も見せてもらいました。

 

直方駅付近

直方駅の旧駅舎です。

 

昭和時代末期は、まだインターネットがなく、今では懐かしいパソコン通信が本格的に普及しだしたのも1980年代半ば(昭和61年頃)からでした。私の場合は、パソコン購入以前にNEC製のワープロを使っていたので、当初はワープロからパソコン通信を使っていました。

そういう時代でしたので、私のような地方人は、昭和時代は、何かあると東京に出かけていかなければならないことが今よりも多かったのです。

その頃に東京に行ったついでに購入した記念入場券です。

100系新幹線運転記念入場券です。(1985年)

 

国鉄時代の100系食堂車

デビュー当時の100系新幹線です。

 

100系グリーン車

100系グリーン車の2階席です。個室にも何度か乗車しました。

 

1984年の上野駅大壁画「自由」修復記念入場券です。

当時の在来線特急列車は左から「つばさ(上野~秋田)」「あいづ(上野~会津若松)」「やまばと(上野~山形)」「あけぼの(上野~秋田~青森)」「はくつる(上野~東北本線経由~青森)」「ゆうづる(上野~常磐線経由~青森)」です。

(加古川線の記事はつづく)