JR西日本の新駅訪問記(衣摺加美北) | 鉄道で行く旅

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JR西日本の新駅訪問記の後編です。

大阪メトロの南森町駅と隣接する大阪天満宮駅でJR東西線に乗り換えました。

放出(はなてん)駅に着きました。

 

放出駅から久宝寺行の「おおさか東線」の201系に乗り換えました。

 

おおさか東線の新駅である衣摺加美北(きずりかみきた)駅が見えてきました。

 

反対方向の放出行電車です。

 

衣摺加美北駅のホームです。JR総持寺駅とは違い、今のところホームドアは設置されていません。

 

【思い出の「おおさか東線」の画像】

JR東西線の北新地駅の4扉用ホームドア化のときに運用が廃止された3扉車の223系6000番台による直通快速です。現在は4扉車で運転されています。(2008年に撮影:おおさか東線高井田中央駅)

 

さて、難読駅である「衣摺加美北」についてです。衣摺は東大阪市の地名で、加美北は大阪市平野区の地名です。

このうち、難読部分の衣摺(きずり)の地名の由来には諸説がありますが、有力なのは「衣に色を摺る(する)仕事を持つ部民の集落があり、万葉集の時代から染め物が盛んに行われていた」というものです。つまり模様染の一種である「摺衣(すりごろも)」を作っていた技術集団の人々(帰化人だと言われています)が住んでいたところです。

「衣摺(きずり)」の語源と考えられる「摺衣(すりごろも)」の言葉から、「みちのく」は福島県の「信夫綟摺(しのぶもずり)」を思い出す方が多いのではないでしょうか。

陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに 乱れそめにし われならなくに

  河原左大臣(14番)『古今集』   「河原左大臣」は別名でして、紫式部の源氏物語の光源氏のモデルの一人と言われている「源 融(みなもとのとおる)」の和歌です。

 

 

 

衣摺加美北駅の1階です。エスカレーター・エレベーターもあり、ホームドア以外はフル装備です。

 

高架下の駅舎の外観です。

 

ここから関西本線の加美駅まで歩きました。町工場が並んでいるのは昔のままでしたが、田畑だったところが住宅地になっていました。

 

少しだけ畑が残っていました。

 

D51863

1970年8月に、現在の衣摺加美北駅付近で撮った城東貨物線の貨物列車です。

 

南側から見た「おおさか東線」(右)と百済駅方面に向かう「城東貨物線南連絡線」(左)です。

 

おおさか東線

「おおさか東線」は貨物列車や貨物機も通過します。

 

衣摺加美北駅から歩いて大和路線(関西本線)の加美駅に着きました。

 

加美駅下りホームにあるキロポストです。関西本線の起点の名古屋駅から166km地点であることを示しています。

(おわり)