五条大橋~方広寺 | 鉄道で行く旅

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若宮町から五条大橋を経て若宮八幡宮と方広寺まで歩きました。

五条大橋西詰の中央分離帯にある牛若丸(源義経)と武蔵坊弁慶の石像です。

 

御影堂扇(みえいどうおおぎ)で有名な御影堂(新善光寺)の跡地付近にある扇塚です。

 

五条大橋から見た鴨川と比叡山です。

 

清水坂にある現在の若宮八幡宮です。

 

清水焼発祥の地なので若宮八幡宮は陶器神社とも言われています。

 

若宮八幡宮の駒札です。

 

ついでに訪れた方広寺です。ここに来たのは15年ぶりぐらいです。

 

方広寺の鐘です。

 

有名な「国家安康」「君臣豊楽」の文字です。

これを書いた文英清韓は臨済宗の僧侶で東福寺の住持から南禅寺の住持にまで登りつめた高僧です。その出世コースを見る限りでは安国寺恵瓊の後輩ということになります。

色々な見方がありますが、この文字を観察すると豊臣家よりも徳川家(家康の実名入りです)が格下のような感じで書かれており、これで「良し」とした(普請)奉行の片桐且元に落ち度があると思います。

落ち度ではありますけれど、この鐘に、この文字がなかったとしても豊臣家の末路は変わらなかったのではないでしょうか。

 

高瀬川の正面橋です。この正面通の名称は、方広寺の大仏の正面につながる通りであることに由来します。

 

高瀬川です。豪商の角倉了以が1611年に開削した京都市内の運河です。明治時代の疏水放水路開通後の大正時代に運河の役目を終えていますが、それまでの京都の物資輸送に多大な貢献をした運河でした。

ただ、この高瀬川を作った本当の理由は、豊臣秀頼による方広寺再建工事の資材輸送のためだったのです。

なお、高瀬舟は室町時代から備前(岡山県)の高梁川、吉井川、旭川などで使われていた平底の舟です。角倉了以は、参考にした備前の高瀬舟に敬意を表して、川の名を高瀬川にしたのでしょう。

(おわり)