河内源氏の故郷である羽曳野市の続編です。
壺井八幡宮を後にして河内源氏の墓地に向かいます。
壺井八幡宮から河内源氏の菩提寺だった通法寺跡に向かう道です。
このような虫籠窓を残す家屋がありました。
これもまた味のある建築物です。米蔵?でしょうか。
かつては河内源氏の菩提寺でしたが、明治時代の廃仏毀釈で廃寺になっている通法寺跡の門です。
門には「源氏祖郷」の文字が書いてあります。
源頼義の墓です。江戸時代に徳川綱吉・柳沢吉保により復興されたものだということです。
源氏館跡の説明板です。
河内源氏の家系図です。
現実に戻りますと、こういうところです。
通法寺の南東にある竹藪の中の丘に登りました。この辺りから羽曳野市ではなく太子町です。
源義家(八幡太郎義家)の墓です。源義家は承徳2年(1098年)に白河法皇から「院昇殿」を許されました。徳川家康が後年に源氏を名乗ったのは、この源義家にあやかりたかったのだと思います。
さらに丘の奥地に進むと源頼信の墓がありました。
上ノ太子駅まで戻りました。
(おわり)