思い出の京阪牛乳(2006年) | 鉄道で行く旅

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今回は2006年8月の画像です。その頃、気になっていた寝屋川市にある「京阪牛乳」の取材記録です。
京阪牛乳

2006年当時の京阪電車の急行です。今は京阪本線では見ることができない旧塗装でした。(寝屋川市駅)

京阪牛乳

寝屋川市駅前から京阪バスに乗車しました。

「皆んなで作ろう 安全な街ねやがわ」

京阪牛乳

訪れたのは京阪牛乳の本社です。2000年8月に牛乳の製造・販売からは撤退しましたが、牛乳以外の事業により会社は存続しています。牛乳から撤退後も社名は京阪牛乳のままです。


京阪牛乳

昔は京阪電車の駅売店で「京阪牛乳」や「京阪コーヒー」などが売られていました。また京阪牛乳株式会社は寝屋川市などの学校給食用牛乳の納入や京阪沿線の家庭への牛乳宅配をやっていたので「京阪牛乳」を覚えている方が京阪沿線には多いようです。

また、阪急電鉄の駅売店で販売されていた「阪急牛乳」も京阪牛乳株式会社が商品を納入していたそうです。


京阪牛乳
♪ポッポポッポ ハトポッポ~ 鳩のマークの京阪牛乳 朝も京阪 お昼も夜もみんなそろって の~んで~る のんでるね 京阪牛乳で 皆元気!

京阪牛乳

 

京阪牛乳の鳩マークです。なお、京阪牛乳株式会社は京阪電鉄の駅売店で販売する牛乳類を納品してはいましたが京阪グループの会社ではありません。

京阪牛乳
京阪牛乳と京阪電車(京阪特急)をつなぐ鳩のマーク?(1971年・高架になる前の枚方市駅)

小生が若い頃は、京都在住の先輩に誘われて、夜に京都の町で飲むことが結構多かったのですが、祇園で飲むことは滅多になくて、木屋町(きやまち)かせいぜいのところ先斗町(ぽんとちょう)あたりでした。

 

四条大橋

地上時代の四条駅付近(1988年)

当時の知人の誰かが「酒を飲む前に牛乳を飲んでおけば悪酔いをしない」と教えてくれたので、その当時だけですが、酒席の前に牛乳を飲むようにしていました。それで、大阪市内の京阪の駅売店で鳩のマークの京阪牛乳を立ち飲みしてから、鳩のマークの京阪特急で四条(現在の祇園四条)に向かった思い出が今なお残っています。『タカ派(南海ホークス)』ではなく『ハト派(京阪の鳩特急)』だったわけですね。(←「タカ派」も「ハト派」も死語なので今の人には本来の意味がわからんぞ!)


旧3000系

デビュー当時の旧3000系の車内です。まだ扉の前の補助席がない頃です。(1971年)

小生が飲み会で利用していた頃は、もう1900系は(ロングシート化後の編成による臨時特急を除き)特急からは引退しており旧3000系の全盛期でした。たしか、夜遅い時間の旧3000系特急では3両編成の運行がまだありました。3連の特急は、気のせいなのか6連や7連の特急よりも揺れが激しいように感じたものです。
阪神本線の普通電車でも終電の近くでは2両編成の運行があった時代でした。

 

ちなみに、小生の学校給食の牛乳は「いかるが牛乳」でした。「いかるが牛乳」は大阪市住之江区(昔は生野区)の会社です。たしか、創業者のお名前が「いかるが(鵤)」氏だったと思います。従って、奈良県の地名の斑鳩とは関係がないようです。(いかるが・・・斑鳩の漢字の意味は鵤と同じです)

その「いかるが牛乳」にもCMソングがありました。

私の時代のバーション → ♪いかが いかるが いかるが牛乳

それよりも新しいバージョン → ♪ゴックン いかるが モーニング!

【小ネタ】・・・2016年現在の大阪市立の小中学校の給食牛乳業者(納入先の区)

1.いかるが牛乳 (西淀川、淀川、旭、鶴見、阿倍野、住之江、住吉、西成区)

2.ビタミン乳業 (都島、福島、此花、中央、西、港、大正、天王寺、浪速、東成、城東区)

3.いかるが乳業  (北、東淀川、生野、東住吉、平野区

・・・ 引用者注 「いかるが乳業(大阪市平野区)」はいかるが牛乳(大阪市住之江区)」とは別の会社です。創業者は同族のようですが両社には資本等の関係が全くなくグループ企業ではありません。それから、ビタミン乳業は大阪市西区の会社です。

 

松原牛乳
京都の牛乳の事情は、よく知りませんが、松原牛乳が有名か?

これもまた「松原」は創業者のお名前であり松原通と関係があるわけではありません。

(松原牛乳は全農に吸収されてしまい、その全農も経営統合後に雪印メグミルクに吸収されたようです。)