思い出の阪大病院ほか | 鉄道で行く旅

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1993年に吹田キャンパスに移転した大阪大学医学部関係施設の移転前の画像が出てきましたので紹介します。
昔の大阪大学医学部

堂島川の田蓑橋付近から見た、昔の大阪大学医学部附属病院(阪大病院)です。(1979年撮影)

ここは「愛と死をみつめて」や「白い巨塔」の舞台でもありました。


昔の大阪大学医学部

上の画像と同じ場所です。(2015年撮影)

今は「ほたるまち」などがあります。このあたりの建物名は「堂島」になっていますが住所は福島です。

昔の大阪大学医学部

田蓑橋の南側です。右側の建物が昔の大阪大学医学部です。大阪大学医学部は、緒方洪庵の適塾の塾生や関係者が原点になっているため、適塾(『適々斎塾』)が大阪大学医学部の前身とされています。(1979年撮影)

昔の大阪大学医学部
上の画像と同じ場所です。右側には、大阪中之島美術館(2022年追記)、大阪市立科学館、国立国際美術館などが建っています。(2015年撮影)

昔の大阪大学医学部

中之島通りの田蓑橋と玉江橋の間にあった大阪大学歯学部附属病院が左側に写っています。(1979年撮影)

昔の大阪大学医学部
上の画像と同じ場所です。(2015年撮影)

昔の大阪大学医学部

上の画像をズームアウトすると、大阪大学の中之島センターが見えてきます。(2015年撮影)

昔の大阪大学医学部

大阪大学とは無関係ですが田蓑橋付近にあった旧ダイビル(1925年竣工-2009年解体)です。(1979年撮影)


昔の大阪大学医学部
2013年に竣工したダイビル本館です。下層部には昔のビルのデザインが使われていますが建物は新築です。(2015年撮影)

 

昔のダイビル
これが建て替え前の1925年竣工のダイビルです。(2007年撮影)