1983年当時の大阪駅1番線と福知山線の下り普通列車です。
先頭からDD51、マニ60、ナハフ10です。ナハ10系は、デビュー当初は特急にも連結され、その後は急行列車用の客車として活躍しました。晩年は画像のように普通列車にも使われました。このナハ10系(ナハ10、ナハ11)は、スハ44の次ぐらいに好きな客車でした。
9・10番線から眺めた1番線の下り列車です。マニ60への荷物の積み込みが行われているようです。
背景のビルは大阪中央郵便局です。
晩秋なのでDD51の蒸気暖房(SG)が稼働しており、客車の下部からスチームが出ています。
福知山線の普通列車の後部です。
大阪環状線ホームが「環状内回り、環状外回り」と呼ばれていた頃でした。
現・大阪環状線の相対式ホームの時代は、西成線(環状運転開始後は内回り)が0番線で、城東線(環状運転開始後は外回り)が1番線でした。これは1970年3月11日までのことです。
大阪万博の年の1970年3月12日から大阪環状線ホームが独立した島式ホームの「環状1番・環状2番」になり、さらに1982年3月1日から「環状内回り、環状外回り」になったのでした。
そして、2005年2月27日から現行の1番線・2番線になっています。
近代化が施されていない茶色塗装のオハフ33です。「汽車の旅」という感じですねえ。
この列車は、編成の前方が米子行で後方が福知山行止まりでした。
そういえば、私の少年時代の福知山線の早朝一番の下り列車は、大阪発・浜田行でした。
大阪駅を午前5時台に発車して、終着の浜田駅に着くのが午後11時過ぎだったように覚えています。
福知山線の普通列車の後部です。右側3番線ホームに郵便車のオユ10が停まっています。
同じ日に環状線ホームから撮影した大阪駅前です。
第一生命ビル(大阪)が建て替え前です。旭屋書店の大阪駅前店はもうありません。画像を見ると、ヒルトンプラザイーストの基礎工事が始まっていたようです。
同じ場所の現在の姿です。