世にいう「日本的なもの」の起源は室町時代にその淵源が求められるものが多いと聞く。三代義満時代の北山文化と八代義政時代の東山文化、その代表格が金閣寺と銀閣寺である。鎌倉仏教から禅宗の影響があり、わびさびも禅の教えの香りがする。書院造の桂離宮や能楽、狂言、茶道の始まりもこの時代と言われる。茶道で使われる陶磁器では美濃焼や京都の楽焼も発展した。蒔絵の技術、水墨画、山水画、狩野派の絵画もこの時代。日本料理の味付けに欠かせない味噌、豆腐、醬油もこの時代に始められたという。高校時代の日本史では古代から明治までを習ったが、このような話を先生が紹介していたためか、一番面白く感じたのはこの室町時代。特に印象に残ったのが「二条河原の落書」であった。意味もよくわからないまま、ゴロがいいので暗記して、卒業文集には二条河原の落書をイミテーションした文章を載せたことも思い出す。地方の武士が急に力を得たものだから公家ばりに朝廷の官職を得て公家装束を着ているさまを皮肉ったといわれる。当時の公家階級のものが書いたと思われる文章である。

此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨(りんじ)
 召人(めしうど) 早馬 虚騒動(からさわぎ)
 生頸(なまくび) 還俗(けんぞく) 自由出家(じゆうすけ)
 俄大名(にわかだいめょう) 迷者(まよいもの)
 安堵(あんど) 恩賞 虚軍(からいくさ)
 本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛(ほそつづら)
 追従(ついしょう) 讒人(ざんにん) 禅律僧 
 下克上スル成出者(なりだしもの)」(まだまだ続くが、読み仮名は高校時代の記憶による)

 

本書を読むとこれらの意味が解説されて、ほぼ半世紀を経てその意味を知った部分がある。夜討ち強盗は治安悪化だが、ニセ綸旨とは何だろうか。綸旨とは天皇の意思を名宛人に伝える文書形式、正式には詔勅や太政官符、宣旨などがあるが、いずれも何人もの公卿や官人の手を経ねばならず容易には発せられない。そこで蔵人が認めさえすれば発せられるものを後醍醐天皇は多用したという。高校時代に習った「建武の中興」で成立した建武政権は内乱状態で成立した軍事政権であり、軍事動員を頻発してその恩賞認定にも即効性が必須だったためだという。手続きが簡単なため偽造が頻発したとも言われたためこのように皮肉られた。安堵恩賞カラ戦さ、というものこの辺りの状況を皮肉っている。

 

「本領離るる訴訟人、文書入りたる細つづら」とは、これも建武政権が元弘の乱過程で新たに獲得した所領は元の持ち主に返すべきと発した宣旨があったが、翌月には北条氏に与した者の所領以外は現時点の実効支配者を所有者とする、という宣旨を発していて、旧領回復したと思ったらすぐに現状追認するという、現場からの突き上げに屈する新政権の脆弱さを皮肉られている。

 

「器用堪否(きようかんぴ)沙汰もなく、漏るる人なき決断所」。決断所とは雑訴訟を処理する裁判所のような組織に、能力の吟味もなく多くの職員を新たに採用してしまったため、膨大な訴訟に対応しきれていないさま。「させる忠功なけれども、過分の昇進するものあり」官位授与も恩賞の一つであったが、万人の納得する論功行賞ばかりではないという政権への不満である。

 

こうしてみてみると、鎌倉時代は東に武士の政権、西に公家の政権、という形である意味バランスが取れていたのが、後醍醐天皇の建武政権誕生でそのバランスが崩れた。一方で公武一体の政権誕生であったため、公家と武士の持っていた文化、東西の文化が融合したという側面もあった。以前、網野義彦が書いた「異形の王権 後醍醐」「東と西の語る日本の歴史」を読んだが、鎌倉から室町に至るこの時代は、表面的な歴史よりも文化面で捉えるほうが、時代の雰囲気がよくつかめるのではないかと感じる。

 

本書は建武政権誕生から応仁の乱が終わり、10年の戦争の間中止されていた祇園祭が復活するところまでを解説していて、大変興味深い。