カタリ派というキリスト教の一派がローマ教会から迫害を受けていた、ということを示す羊皮紙に書かれた文書を見つけた須貝あきらとフランス人医師のクリスティーヌ、そして手稿を探す途中に知り合ったエリック、力をあわせて最初の手稿にあったヒントを解読して第二第三の文書を発見する。パリ警察に日本から科学捜査の勉強に来ていた今井も協力、須貝の先生であるアリエル教授、フィッシャー教授なども巻き込んでのサスペンスである。

問題は信仰とはなにか、である。ここで描かれている「カタリ派」、思想的には、現世は苦しみに満ちた世界であり、人の魂は死んでもまた新たな生命へと転生するという輪廻転生思想である。
カタリ派の聖職者である「完徳者」が守る戒律は次の通り。
①肉は食べてはならない
②殺してはならない
③結婚してはならない、性的交渉を持ってはならない
④死を喜んで受け入れねばならないが、自殺してはならない
⑤嘘をついてはならない、尋問にも正直に答えなければならない
一般の信者はこのような厳しい戒律におかれること無く、普通の人間として生活していた。

こうした思想はローマ教会からは異端であり、許されない信仰であった。そのため迫害を受け、拷問や火あぶりなどで多くの信徒が殺害された。それを記述した文書を須貝たちは発見したのである。ストーリーはサスペンスタッチで進むが、このおはなしの真髄は宗教迫害にある。カタリ派の歴史、を検索すると本当にあった話であることがわかる。物語ででてくるオクシタン語、この言葉自体も迫害と抑圧の歴史があるようである。

Weblioによれば次のような歴史があるようだ。
『北仏と南仏が本質的に統一されたのは宗教的対立を切っ掛けにして起きたアルビジョワ十字軍によってであり、この戦いに敗れた南仏諸侯は北仏諸侯に服従する。フランス王国はオック語を歪んだ存在として否定し、公的な価値を剥奪した(ヴィレル=コトレの勅令)。これによりオック語は公式の言葉としては衰退したが、民衆の話言葉という形で密かに生き残った。その後、フランス革命が勃発するとオック語を公用語とする自治区の形成が試みられたが、急進左派(ジャコバン派)の反発で頓挫してしまう。革命が潰えてもオック語復権の機運は消えず、オック語の文学者フレデリック・ミストラルによるノーベル文学賞の獲得はオック話者を大いに勇気付けた。だが高まる運動が分離主義に繋がる事を危惧したフランス政府は1881年にオック語の学校教育を法律で禁止した。

フランスは近代国家による中央集権化の一環として言語の人為的操作を最も強硬に、また早い段階で進めて来た国家であり、方言禁止政策や標準語という名の人工言語の制定などは他の国家にとってのモデルケースとなった。しかしこうした行為はかつてのローマ化と同じ緩やかな民族浄化政策と呼びうるものであり、特に冷戦終結後の欧州では欧州共同体が地方言語の保護を加盟各国に促すなど、見直しが進められつつある。しかし欧州共同体の中核を成すフランス政府は依然として地方言語を方言として弾圧し、1999年にはシラク大統領が言語保護の条約にサインを拒否している。2008年6月21日にはフランス上院が地方言語の保護を求める条例を否決して、南部で大きなデモ活動が行われた。

マスメディアの浸透もあってオック語は窮地に立たされており、600万を数えるオック語話者の高齢化も指摘され、これから如何にしてオック語を若い世代に継承するかが重要なテーマとなりつつある。』
帚木さん、このお話を書くにあたっては、カタリ派、オクシタン語、ローマ教会、オプス・デイなどについて相当の下調べをしたと思われる。