坂口祐三郎(坂口徹)の出演映画 その5 | お宝映画・番組私的見聞録

坂口祐三郎(坂口徹)の出演映画 その5

さらに前回の続きで、坂口祐三郎である。
「仮面の忍者赤影」(67~68年)の主役に抜擢された坂口であったが、良くも悪くも影響を被ることになる。もちろん一気に名前が知れ渡ったが、素顔は仮面で隠される。基本二枚目役者なので、素顔を見せるための仮面を付けていないシーンも当初はあったのだが、それだと小さい子供はわからなかったらしい。そして結果的に顔見せが無くなってまったという。ある意味スーツアクターに近いのかも。しかし、顔をあまり見せなかった割には、坂口祐三郎=赤影という強いイメージが付いてしまったのである。
実はもう1本ドラマの話が来ていたという。本人は「新撰組血風録」の続編と言っていたので、それに該当するのは「俺は用心棒」(67年)ということになる。正確には島田順司(沖田総司)と遠藤辰雄(芹沢鴨)は「血風録」と同じ配役で出ているが、栗塚旭、左右田一平、国一太郎などは新撰組ではない違う役での登場だ。放送期間がかぶり、同じ東映京都とはいえ、赤影の主役である坂口は掛け持ちできる状況ではなかったのだ。坂口が「血風録」で演じた山崎烝は「俺は用心棒」にも登場するのだが、演じたのは西田良であった。坂口とは全く似ていない猿顔の大部屋役者だ。坂口が出演できなくなったので、台本が変わったらしいが、山崎烝の出番は10話程度だったようだ。ちなみに、西田良はノンクレジットだが「赤影」にも下忍(つまり斬られ役)として何度か出演している。
赤影を1年間演じたことは、前述の様に当初は悪影響も大きく役が付きにくくなったのである。68年は「待っていた用心棒」「大奥」「次郎長三国志」など東映テレビ時代劇をゲスト出演するくらいに留まっている。
69年、芸名を坂口徹に改名し「赤影」からの脱却を計った。ドラマ「あゝ忠臣蔵」には坂口徹として、大石瀬佐衛門役でレギュラー出演している。ちなみに、主役の大石内蔵助(山村聰)と同じ「大石」だが、分家の「大石」ということのようだ。
そんな中で「東映まんがまつり」の一作として公開されたのが「飛び出す冒険映画 仮面の忍者赤影」(69年)である。第1部である「金目教」編の再編集版だが、一部新作カットもあるようだ。その新作部分が「立体映像」になっており、劇場で赤と青のセロハンを両目に貼った仮面風の「立体メガネ」が配られ、立体パートになるとスクリーンから赤影や白影がメガネをするように観客に呼びかけるのである。自分も子どもの頃に映画館でこれを見た記憶がある。
主演者は基本テレビと同じになるが、前述のとおり坂口は祐三郎ではなく徹となっている。共演は金子吉延、牧冬吉、里見浩太朗、大辻伺郎、そして天津敏演じる甲賀幻妖斎率いる霞谷七人衆の岡田千代、阿波地大輔、近江雄二郎、芦田鉄雄、波多野博、大城泰である。もう一人は汐路章だがカットされているようだ。
70年も映画出演はなく、東映時代劇へのゲスト出演が主となっている。
71年は初の大映映画出演。映画テレビ通じて他社出演は初めてかもしれない。それが渥美マリ主演の「モナリザお京」である。坂口には少ない現代劇で、主演の渥美はスリ、川津祐介が宝石泥棒。坂口はクラブ支配人の仲村隆と結託している盗品宝石ブローカーという役である。主人公たちからは敵の役だ。本作から約半年後に大映は倒産するので、最初で最後の大映出演となったわけである。