水滸伝 その3
二回で終了する予定だったが今回も「水滸伝」(73~74年)である。
中村敦夫が自著「俳優人生 振り返る日々」で「水滸伝」の撮影エピソードについて語っている部分がある。そもそも中村敦夫はこの話には乗り気ではなかったという。こうした大企画はお祭り騒ぎに終始し、作品は大味なものになるだろうと予測していたからであった。しかし、制作会社が提示した条件の中に撮影が中国本土で行われるだろうといのがあった。中国とは72年に国交が回復したばかりであり、一般人が中国へ行くチャンスなどほとんどなったので、そこに惹かれて出演を承諾したという。しかし、中国で行われるはずだった最初のロケは伊豆大島に変更となってしまったのである。理由を問い詰めると、封建時代の作品を中国が認めなかったからだという説明があったという。四人組が健在で古い価値観を抹殺する運動をしていた頃なのでありうる話ではあった。一方で制作費がかさみすぎるので中止になったという噂もあり、本当のところはわからないという。
本作では馬に乗るシーンが不可欠であり、毎日のように特訓が行われ、中村を始め、土田早苗、あおい輝彦などはすっかり馬術が上達したという。それでも半年の撮影で十数回は落馬したといい、落ち方をマスターしていたため、たいした怪我はしなかったという。
しかし一度だけ、秩父の長瀞で行っていた撮影での小休止中、反射板の光に馬が驚き立ち上がってしいまい、馬上の中村は後方に投げ出され岩に後頭部を打ち付け意識を失ってしまったという。金属のガードのあるカツラをしていたのが幸いしたようで表面上は大きな怪我はなかった。
気が付いた時には赤坂の病院のベッドの上だったといい、実はこの時の中村は記憶喪失状態だったのである。数人のスタッフが心配そうにのぞき込んでいたが、判断力はあったため、誰かはわからないが風体から映画関係者だろうという推測はできたという。「馬から落ちたんですよ。覚えてますか」という問いかけから、自分は競馬の騎手とは思えないから、俳優に違いないというように、自分から余計なことは言わず、会話から自分の状況を探っていったという。そこに入籍してまもなかった彼の妻が駆け付けた。もちろん、妻の顔も結婚していたことすらも忘れていたが、八時間ほどの会話で何とか全記憶がつながったという。
ロケ現場は御殿場が多かったが、二時間ほどかかるので、フォルクスワーゲンのバンを買い、中を改造してベッドとデスクを備え付けたといい、現場に到着するまでは眠ることができるようになったという(当時キャンピングカーはなかった)。仲の良かった常田富士男は二日酔いのまま撮影に来ることが多く、そのベッドで寝てしまうことがよくあったらしい。この噂を聞いた勝新太郎は負けてなるものかと思ったのか、もっと大きなバスを買い、ソファセットつきの豪華な改造車を作ったという。
本作は外国でも人気を呼び、ヨーロッパやカナダで大ヒット、特にスペインでは爆発的な人気があったという。
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