2020年回顧録 その2
前回の続きである。
今年亡くなった著名人だが、音楽界に目を向けて見ると、まず作曲家・筒美京平(80)が挙げられる。作詞家や作曲家で表に出てくる人は結構多いが、筒美はあれだけヒットを飛ばしてもテレビなどに登場することはほとんどなかった。ちなみに、最大のヒット曲はジュディ・オングの「魅せられて」で、尾崎紀世彦「また逢う日まで」やいしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」などを手掛けた。近藤真彦や少年隊などジャニーズ系アイドルも多く手掛けていた。
つい先週、亡くなったのがなかにし礼(82)である。この人は作詞だけでなく、小説も書き「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞している。大ヒットした「時には娼婦のように」は黒沢年男の歌唱で知られるが、自らも歌っていた。
そのなかにしが作詞した「いとしのジザベル」「愛する君に」を歌ったのがGSのザ・ゴールデン・カップスである。そのドラムス兼ボーカルのマモル・マヌー(71)とベースのルイズルイス加部(71)がいずれも今年の9月に亡くなっている。後にゴダイゴのリーダーとなるミッキー吉野が在籍していたグループでもある。「愛する君に」のB面である「クールな恋」はアニメ「巨人の星」に登場するオーロラ三人娘の歌として使用されている。そのゴダイゴのギタリスト浅野孝己(68)も5月に亡くなっている。
歌手に目を向けると梓みちよ(76)。「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットした後、低迷した時期があったが「二人でお酒を」で74年の歌謡大賞とレコード大賞を受賞している。私生活では和田浩治と結婚離婚の後は独身だったようで、マネージャーが打ち合わせで訪れた時には既に亡くなっていたという。弘田三枝子(73)は61年に14歳でデビュー。翌年にコニー・フランシスのカバー「ヴァケイション」がヒットした。彼女も一時期低迷したが、69年に「人形の家」が大ヒットし、オリコンチャート首位を獲得した。この頃、大幅なダイエットを慣行、70年には「ミコのカロリーBOOK」を出版しベストセラーとなり「芸能人のダイエット本」の先がけと言われている。個人的にはアニメ「ジャングル大帝」の「レオのうた」が印象に深い。
その「ジャングル大帝」に出演していたのが声優の勝田久(92)。「鉄腕アトム」のお茶の水博士役が有名。勝田声優学院の学院長としても知られ、15年まで指導にあたっていたという。「サザエさん」の二代目マスオさんで知られるのが増岡弘(83)。40年にわたってマスオさんを演じたが「それいけ!アンパンマン」のジャムおじさんも30年にわたって演じていた。「クレヨンしんちゃん」のひろし役を24年演じたのが藤原啓治(55)。16年に体調を崩して休業したが、1年程度で復帰。しかし本年4月55歳の若さで亡くなった。
漫画家もジョージ秋山(77)、桑田二郎(85)、矢口高雄(81)、一峰大二(84)といった大ベテラン勢の死が続いた。個人的にはジョージ秋山が70~72年に発表した「アシュラ」「銭ゲバ」「告白」「ばらの坂道」「ザ・ムーン」といった一連の問題作が印象に深い。長寿となる「浮浪雲」がスタートしたのは翌73年のことである。
全員に合掌。
大晦日なので、2020年の更新はこれで終わりである。2021年も週二回くらいのペースで更新したいとは思っている。過去に取り上げた作品を再度取り上げるケースも多いと思うが、その辺は大目で見ていただきたい。