日活俳優録29 山内 賢 | お宝映画・番組私的見聞録

日活俳優録29 山内 賢

「ヤング&フレッシュ」続きで行くと、残るは山内賢である(木下雅弘は詳細がほとんどわからない)。「ヤング&フレッシュ」では、ドラムスの和田浩治よりもやはりボーカルである彼が一番目立っていた。
山内賢は43年生まれ、本名は藤瀬賢晁(のりあき)という。四人兄弟の四男で、三男は東宝の青春スターだった久保明(本名・山内康儀)である。
小学六年だった55年「姿なき目撃者」で子役としてデビュー。芸名は兄に倣って久保賢であった。続く「あすなろ物語」では、主演の兄・久保明の少年時代を演じて初共演。ちなみに久保明とは七歳差がある。以降、「コタンの口笛」「上役・下役・ご同役」(59年)でも兄と共演するなど、東宝での子役出演が続いた。
高校は玉川学園に入学。浜田光夫は同級生であった。その影響ではないと思うが、62年に高校を卒業すると同時に日活に入社している。芸名を山内賢として、「雲に向かって起つ」(62年)で日活デビューを果たした。
浜田光夫、吉永小百合コンビに対して、山内賢は和泉雅子とのコンビが多く、それが人気の基盤にもなっていたと思われる。「青春ア・ゴーゴー」や「涙くんさよなら」(66年)ではヤング&フレッシュのギター兼ボーカルとして出演。映画用の即席バンドではなく、山内が入社してまもなくの62年に結成されていたバンドである。「二人の銀座」「夕陽が泣いている」「東京ナイト」(67年)は、いずれも和泉雅子をヒロインとして、ヤング&フレッシュが出演。特に山内と和泉がデュエットとした「二人の銀座」は大ヒットとなった。元々は山内ではなく浜田光夫が和泉とデュエットする予定だったらしいが、眼のケガにより出演できなくなり山内になったという。
しかし、この67年に山内は日活を退社し、東芝レコードと契約し歌手に転向を図っている。しかし、ヒット曲には恵まれず、テレビに活動の場を移し、俳優、司会などで活躍していく。中でも「あばれはっちゃくシリーズ」(79~85年)の先生役は有名であろう。
プライベートでは76年に藤瀬敦子と結婚し、婿養子となったらしく本名が山内から藤瀬となっている。しかし、彼女がどういう人かとか結婚までの経緯などは明かされていないようだ。
03年、右肺にガンが見つかり、除去手術を行ったが、その後も転移が発見され4度にわたり手術を行っている。テレビに顔を出すこともあったが、療養生活を続けていた。11年に67歳で亡くなっている。葬儀には和泉雅子、吉永小百合、浜田光夫らが参列。出棺時には兄の久保明が遺影を持ち、喪主である妻の敦子さんが「最後の言葉は『みんなに感謝』でした」と述べていた。