日活俳優録22 小高雄二 | お宝映画・番組私的見聞録

日活俳優録22 小高雄二

川地民夫と同時に「陽のあたる坂道」(58年)で、日活デビューしたのが小高雄二である。
小高雄二は33年生まれで、本名を小高尊という。53年に俳優座養成所に5期生として入り、56年の卒業とともに大映に入社している。デビュー作は「処刑の部屋」(56年)で、本名名義であった。
58年に日活に移籍し、前述のとおり「陽のあたる坂道」に石原裕次郎の兄役で出演した。役名の田代雄吉と裕次郎を絡めたのかどうかは不明だが、芸名を小高雄二としている。日活での三作目となる「知と愛の出発」では、後の妻となる清水まゆみ(当時マリ子)と初共演している。
基本的には助演が多いが、「網走番外地」(59年)等で主演を務めている。もちろん、東映の高倉健主演の「網走番外地」シリーズとは全く別作品であるが、原作は同じである。日活版は小高と浅丘ルリ子のラブロマンスが中心の作品となっている。
印象に残る役柄としては、宍戸錠、川地民夫、山内賢が三兄弟を演じる「河内ぞろ」シリーズ3作(64~65年)で、三兄弟の仇敵となる”ハジキの林蔵”役などがある。
70年頃まで、日活では100作以上に出演しているが、腹膜炎、慢性肝炎といった病に侵され、徐々にスクリーンから遠ざかって行った。肝硬変なども併発し、病魔の連鎖は20年以上も続いたという。
07年頃の「あの人は今こうしている」というインタビューは、その自宅で行われているが、千葉県は茂原の駅からバスで30分、終点である停留所の近くに住んでいたようだ。
「ようやく病魔から解放されて静かな毎日を送っています」とまゆみ夫人と共に元気な姿を見せていたようだ。同世代で仲の良かった裕次郎が病魔と闘っている時期と重なり、自分も絶対立ち直って見せると頑張っていたという。しかし、裕次郎は52歳の若さで亡くなり、自分は生き残ったので、彼に生かされているように感じる、と語っていた。
16年に82歳で亡くなったが、長生きしたと言えるのではないだろうか。
90年代に活躍した小高恵美は小高雄二と清水まゆみの娘と思っている人も多いかもしれないが、そうではなく姪である。87年に東宝シンデレラオーディションで、グランプリを獲得しデビューしたが、生来身体が弱く、叔父と同様に病気がちだったこともあり2000年には引退してしまっている。