日活俳優録11 山田禅二 | お宝映画・番組私的見聞録

日活俳優録11 山田禅二

今回も日活製作再開当時の男優室からの話題だが、四十代には山田禅二や紀原土耕といった大映からの移籍組、松竹で笠智衆の同期だったという二木草之介、浅草軽演劇出身の雪丘恵介らがいたという。この中で割合、知られている存在といえば山田禅二ということになろうか。と言いながらも自分はずっと彼を山田弾二(ダンジ)だと思っていたのである。それが禅二(ゼンジ)だと気づいたのは結構、最近のことだったと思う。
山田禅二は1914年北海道生まれで、本名は万田正敏という。29年に高校を中退し、苫小牧の王子製紙に入社する。小津安二郎の「大学は出たけれど」を見て、映画界を志す。36年に日活多摩川撮影所の美術部へ入社するが、翌37年に俳優に転じ「爆音」「土と兵隊」(39年)、「将軍と参謀と兵」(42年)等に助演する。
戦後は大映に所属し、「金色夜叉」「或る女」(54年)などに出演。この間に前回の深江章喜も所属した劇団戯曲座に参加している。そして、54年に製作を再開した日活に転じたのである。戦前は日活に所属しており、古巣に帰ってきたという感じであろうか。
そして、再開第一作である「国定忠治」にもノンクレジットだが出演している。この54年6月から9月にかけて、日活では7本の作品を製作しているが、山田はその中の6本に出演という売れっ子ぶりである。
日活では悪役というイメージが強いと思うが、元々は人の好いおじさん、父親といった役柄が多かった人である。確かによく見るとバカボンパパにも似た風貌である。しかし、アクション全盛の日活では笑顔でなければ悪人に見える風貌の山田は、必然的に悪玉やギャング役が多かったのである。
66年にフリーとなり、ドラマでは基本的に悪役だったと思うが、72年に「特別機動捜査隊」でそれまでの西本係長(鈴木志郎)から交代した田中係長役に抜擢される。同番組では過去に悪役等で出演していたこともあり、違和感を感じた人も多かったかもしれない。最終話まで約六年の間、同役を演じたが、山田はこれを機に悪役から足を洗ったという。その後、本当に悪人を演じることがなかったかどうかは確認できないけれども。
宍戸錠によれば、「警察日記」(55年)のアフレコを朝から8時間以上待たされ、「今日はないだろう」と宍戸が勝手に帰ってしまったことがあったという。しかし、夜にアフレコは始まり、宍戸がいないことで大騒ぎになった。携帯電話もなければ録音技術もまだまだな時代である。宍戸がタクシーで駆け付けた時には夜中の一時になっていた。外で待っていたのは同期ニューフェイスの今村弘、演技事務の保坂、そして山田禅二であった。山田は「何も言うなよ。遅れて申し訳ございませんでしたといって深々と頭を下げろ。余計なことは言うなよ」と言ってきた。そして、長時間待たせた久松監督をはじめ、森繁久彌、杉村春子らに四人で一緒に繰り返し頭を下げたのである。これが功を奏したのか、宍戸は数か月干された程度で済んでいる。宍戸も「山田さんがいてくれて本当に助かりました」と関係ないのに頭まで下げてくれたが山田には深く感謝していた。実際の山田禅二はとてもいい人だったようである。