東宝俳優録48 成川哲夫
東宝ニュータレント8期生から、今回は成川哲夫である。
成川哲夫は44年生まれ。成川といえば「スペクトルマン」である。20年ほど前に「ピープロ70S’ヒーロー列伝 スペクトルマン」という本が出ており、著者はその成川である。
成川の出身中学は砧中学、砧といえば東宝の撮影所がある場所だが、その関係で同級生の親兄弟が撮影所関係の仕事をしている人が多かったという。成川も高校の頃にエキストラのアルバイトをやったりしていたようだ。ちなみに高校は法政二高で、一年上に柴田勲がおり甲子園で大活躍した。
成川は法政大学に進んだが、三年の時に留年してしまったのである。そんな時に東映の演技研究所が出来たことを知り、大学と並行して通い始めたのである。ここで芝居の道に進むことを決意し、大学は中退してしまうのである。つまり、留年したことが彼の人生を変えたといえる。
そんな、東映の演技研究所時代にテレビ出演もしており、その一本が「悪魔くん」(67年)であった。「呪いの森の魔女」の回で冒頭で殺されてしまう役である。その67年に成川は東宝ニュータレントに応募している。彼の著書では、やはりニュータレントではなく、ニューフェイスという表現を使っている。結局、東宝では最後の募集となってしまうのだが、2万人もの応募者がいたらしい。審査委員長は藤本真澄で、審査員には夏木陽介がいたという。藤本は「東宝ではあの石原裕次郎を落としたりしているので、落ちてもがっかりすることはない」というような挨拶をしていたらしい。
審査を着々と突破していった成川だったが、特技に「ギターの弾き語り」という大嘘を書いており、ピアノと伴奏者が用意されていたため、歌う羽目になったという。キー合わせから全然うまくいかず「しまったなあ」と思ったそうだが、何故か受けはよく、見事に合格したのであった。
合格した13人は、67年10月から68年3月までの半年間、東宝の養成所に通ったが、期間中に1名が交通事故で亡くなったという。前回も書いたが、同期には梅田智子、徳永礼子、そして後に成川の妻となる関口昭子らがいた。研修を終えると、映画、テレビ、舞台のいずれかに配属されるのだが、成川は舞台部に配属されている。
舞台を数本終えた後に、テレビ部からの要請で「東京バイパス指令」(68~70年)への出演が決まった。主演は夏木陽介、竜雷太の青春先生コンビで成川は新人刑事役で1話から半年間の出演であった。成川と入れ替わる形で登場したのが、永井譲滋と柴田侊彦であったが、個人的な記憶にあるのは永井、柴田の時であり、成川の姿は見た記憶がない。確か40年くらいお目にかかっていないので、もう一度みたい番組の一つでもある。