東宝俳優録2 土屋嘉男 その2   | お宝映画・番組私的見聞録

東宝俳優録2 土屋嘉男 その2  

前回の続きである。黒澤家に厄介になることになった土屋嘉男だったが、「七人の侍」の撮影中には高堂国典(村の長老役)からは、「養子に来ないか」と誘われたり、ほとんど他人とは接さない左卜全からもよく話しかけられたという。卜全によれば「西式健康法をやっており、その西さんを私は一番尊敬している。西さんは元は甲州は土屋家の人なので、あんたとは血がつながっていると思う」から、土屋とはちゃんとした付き合いをしているのだそうだ。
「七人の侍」の撮影が終わっても、土屋は黒澤家に厄介になっていたが、次作である「生きものの記録」(55年)の撮影が始まる前に、彼は黒澤家を出た。その後もよく訪れはしたというが、通算すると約1年半の間、黒澤家に居候したことになる。
「木下(恵介)君に君を預けようとかなと思ったけど、やっぱり東宝に入れよ」と黒澤に勧められ、土屋はせっかく入った俳優座を退団し、東宝と契約を結ぶことになったのである。それにしても、東宝ではなく松竹の木下の所へ行くプランもあったわけである。しかし、土屋の場合は松竹でもさほど違和感を感じない気がする。
土屋嘉男といえば、黒澤映画だけではなく東宝特撮の顔でもある。これも有名なエピソードだと思うが、「七人の侍」の撮影が終わりに近づいたころ土屋は「ゴジラ」なる作品の噂を耳にする。元々SF好きだった彼は、そっと黒澤組を抜け出し、ゴジラの撮影現場へ見学に行っていたのである。特撮の方の監督はレジェンド円谷英二。当時は特撮現場に足を運ぶ俳優などいなかったので、円谷は喜んでくれたという。土屋がステージに来るのを待ってくれたりして、破壊シーンを生で見ることが出来たという。円谷とはSFについて語り合う仲になったそうだ。
「ゴジラ」本編の監督といえば本多猪四郎。子どもの頃、怪獣映画を見に行くと必ずこの名前を見たイメージがある。黒澤と同じ山本嘉次郎組の出身ということもあり、二人は大変仲が良い。黒澤が「イノさんの映画なら出てもいいよ」と言うので、土屋は東宝特撮にもよく顔を出すことになったのである。土屋で特撮といえば、何となく科学者とか博士のようなイメージがあるが、本人はあまりマトモな役をやりたがらない。
「地球防衛軍」(57年)では、自分から希望して顔の見えないミステリアン(宇宙人)の役をやっている。その「宇宙語」も土屋が自分で考案したものである。「ガス人間第一号」(58年)では、そのガス人間を演じている。「透明人間」(54年)に出演した際、透明人間を演じる河津清三郎が羨ましかったそうで、ずっとそういう役をやりたいと思っていたという。
カナダのロッキー山脈にいった際、たまたま村の映画館で「ガス人間」を上映しており、土屋は街の人に大歓迎されたという。ホテルはタダになり、御馳走まで振る舞われたといい、まさにVIP待遇である。シカゴでも道行く人が土屋を見ると、ミステリアンの手の動作をしたという。アメリカのTVでは、東宝の特撮映画を繰り返して放送していたようで、現地の人は土屋の顔がすぐにわかったようなのである。
そんな土屋嘉男は70年に東宝を退社。以降はフリーとしてTVや映画で活躍した。しかし、つい先日(9月)その死亡が発表された。実は2月に亡くなっており、7カ月たってからの発表で、89歳であった。