松竹俳優録37 阪東妻三郎
田村高廣が登場したところで、言わずと知れた大スタアの父・阪東妻三郎である。前回でわかった人も多いと思うが、バンツマの最終所属は松竹なのである。バンツマをまともに追っていくと大長編になってしまうので、その松竹時代近辺を中心に取り上げてみたい。
バンツマは1901年生まれで、本名を田村傳吉という。無声映画時代の大スタアだが、トーキーの時代が訪れ、自分の細く甲高い声に自信がなかった彼はサイレントの砦を守ろうとしたという。顔は長男の高廣が一番似ているが、声は三男の正和が一番似ているようだ。
戦前の活躍はそれぞれ調べてもらうとして、42年に片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎、そしてバンツマの4人は大映に顔を揃えていた。翌43年、バンツマは軍徴用に引っかかるが「役者の阪妻がお国の役に立たなくて、田村傳吉に何の用がおます」と啖呵を切り、呼び出しに応じなかったという。
49年当時、大映では現代劇が好調であった。社長の永田雅一は「古ぼけた時代劇のスタアはもういらん」と放言。これに怒った4大スタアは全員大映を退社したのであった。千恵蔵と右太衛門は新しく誕生した東映の重役俳優となり、アラカンはフリーとなったが、やがて新東宝に腰を落ち着ける。そして、バンツマは松竹に移籍したのであった。
バンツマといえば時代劇、チャンバラに終始したイメージがあったが、ちゃんと現代劇もある。その一つが「破れ太鼓」(51年)である。タイトルを聞いただけだと、これも時代劇かと思ってしまうが、あの木下恵介が監督するホームコメディなのである。
田村高廣によれば、バンツマがこの出演依頼を受けてからOKするまでには、かなりの時間がかかったという。本人もチャンバラから脱皮したいという考えもあり、木下からの依頼で嬉しかったに違いないのだが、現代劇でしかもコメディという彼にとっては未知の世界なので、非常にナーバスになっていたそうである。
松竹側から「どうなっているのか?」と問われると、「私は~(省略)~と思っているのですが、一介の時代劇役者が、新進気鋭の監督さんに申し上げていいものかどうか、お返事が遅れたことをお許しいたただきたい」と大スタアらしからぬ低姿勢で答えていたという。
撮影に入ってからは大変に上機嫌だったという。基本的に役者はしからずにのせていくタイプの木下は、もちろんバンツマに対しても何でもOKだったらしい。家でも劇中のセリフである「おいしいおいしいコーヒーを二つ」とか、言っていたという。
この「破れ太鼓」だが、頑固親父とその妻、六人の子供が織りなすホームコメディだ。木下作品でこのシチュエーションといえば、進藤英太郎主演のドラマ「おやじ太鼓」(68~69年)を思い出す人も多いだろう(こちらは子供が七人)。「おやじ太鼓」の原型となっているのが「破れ太鼓」なのである。
「破れ太鼓」での息子役を演じるのは森雅之、大泉滉、小林トシ子、桂木洋子、大塚正義、そして次男を演じるのは木下の実弟・木下忠司である。木下忠司といえば、ご存知のとおり作曲家であり、本作では音楽も担当している。ちなみに、作曲家を志しているという役だ。忠司の映画出演はこれだけだと思われる。大泉滉の役名は又三郎だが、これは彼が「風の又三郎」(37年)でデビューしたから(又三郎役ではない)と思われる。
「破れ太鼓」はその後、何度かテレビドラマ化されているが、阪東妻三郎の十三回忌記念作と銘打たれた65年版では次男の俊麿を含めた田村四兄弟が揃って出演している。おそらく尾上松緑演じる親父の息子役、つまりそのまま兄弟の役であろう。四男の田村亮はこれがテレビドラマデビュー作であった。
53年、阪東妻三郎は「あばれ獅子」の撮影中に倒れ、脳内出血で死亡。51歳の若さであった。バンツマは勝小吉(勝海舟の父)の役であった。映画はスタンドイン、アフレコなどを駆使して何とか完成させたという。対照的に前述の木下忠司は100歳を過ぎた今も健在だという。