松竹俳優録33 高宮敬二(+安藤昇) | お宝映画・番組私的見聞録

松竹俳優録33 高宮敬二(+安藤昇)

菅原文太とくれば、高宮敬二である。新東宝俳優録で彼を取り上げなかったのは、4年ほど前にここで取り上げたことがあったからである。というわけで、その時と情報がかぶることもあると思うが容赦願いたい。
高宮敬二は79年の「日本映画俳優全集・男優編」では、生年出身地などが不明となっていたが、33年福井県生まれで、本名は掲載されている林功ではなく林勇ということが判明している。
話は松竹時代に飛ぶのだが、高宮のもとに映画出演の依頼があったという。第七グループのプロデューサー大友敏法という人で、元は新東宝で照明をやっていた人である。無論、五社協定の関係上、会社の許可がないと他社作品に出演はできないのだが、とりあえず台本を見せてもらったという。
それが「血と掟」で、安藤昇という実在のヤクザの自叙伝であった。面白いと思った高宮が松竹に相談すると、会社も気に入り映画化が決定したのである。ホームドラマの松竹がヤクザの映画とは、ヌーベルバーグやらなんやら松竹も新しいものを取り入れようと躍起になっていたようである。
第七グループとの交渉は高宮が進め、監督は第七グループの湯浅浪男が担当し、松竹は配役を決めて製作には全面的に協力することになったのである。しかし、主人公の安藤昇を誰が演じるのかが問題であった。サプライズ案で本人に出演をお願いしようということになり、松竹の担当者と湯浅そして高宮が出演交渉にあたったのである。
安藤はヤクザの世界から足を洗い、組を解散した直後で、ましてや役者の経験のないズブの素人に何ができるんだと、当初は当然のように固辞したという。しかし、説得を重ねた結果、安藤は出演を承諾。プロデューサー的な役割を果たした高宮も共演者として出演することになった。他に丹波哲郎、城実穂、江畑絢子、そして菅原文太らが出演。それにしても、新東宝の出身者ばかりである。
演技はど素人の安藤なので、台詞はその場では棒読みでやってもらい、後からアフレコで修正したという。
「血と掟」は公開されるや大ヒットし、直ぐにシリーズ第二弾「逃亡と掟」の制作が決定したのである。しかし、「血と掟」のヒットにより全国のヤクザ組織から安藤に対する反発の声があり、警察からも撮影現場で注意するように指導があったという。実際に殴り込みのようなことがあり、ここでもプロデューサー補佐も担っていた高宮が彼らの説得にあたったこともあった。
こういった経緯もあり、文太だけでなく高宮も安藤に勧められ、67年に東映に移籍することになったのである。たまにハンサムタワーズの面々が一緒に東映に移籍したと書かれることがあるが、これは正しくない。文太と高宮は一緒と言ってもいいかもしれないが、吉田輝雄は一足早く66年には東映と契約いているし、寺島達夫は64年に松竹を辞めフリーになっているのである。60年代終盤には東映の任侠映画にも顔を出して文太らと共演もしているが、東映に籍をおいたわけではなさそうだ。