松竹俳優録1 加賀まりこ | お宝映画・番組私的見聞録

松竹俳優録1 加賀まりこ

今回から松竹俳優録である。とはいうものの新東宝、大映、日活のように終焉を迎えてしまった会社は関連書物や研究サイトなどがあり調べやすいのだが、松竹のように延々と存続している会社は逆に調べにくく、まとまった資料も見当たらない(あるかもしれんが)。であるから、脇役、大部屋クラスの人は調べにくく、割合スター俳優中心になるかもしれない。
で最初は加賀まりこである。43年生まれで本名は加賀雅子という。父は大映プロデューサーの加賀四郎。高校時代から六本木界隈を遊び場にしており、「六本木族」の元祖的な存在であった。六本木の「キャンティ」にも通っており、そこには野獣会のメンバーが集まっていたため、彼女も野獣会のメンバーと思われているが本人は「あれは田舎者の集まり」と否定している。
60年にドラマ「東京タワーは知っている」にズベ公役で出演したのが初出演で、61年には高校中退。翌62年日テレの「ノンフィクション劇場/中間世代」で六本木族相手にインタビュアーを務めている。本人談によれば、これは潜入レポで隠しカメラで撮影を行ったりしたという。従兄弟が日テレに勤めていたので出ることになったという。未成年のほぼ素人を危険と思われている場所に行かせるのだから、今なら問題になりそうである。
この62年にはドラマ「四十八歳の抵抗」に出演。これは彼女が「週刊朝日」の表紙(秋山庄太郎撮影)になったのがきっかけで、起用されたという。その直後には連続4回のドラマ「潮騒」にヒロインとして出演。相手役は石坂浩二で、加賀の記憶では本名の武藤兵吉名義だったとうが、ドラマデータベースでは本作から石坂浩二に改名したとなっている。ちなみに、石坂と加賀はこの後(時期ははっきりしないが)同棲生活を送ったこともあるらしい。
この後、松竹の篠田正浩と寺山修司に神楽坂の路上でスカウトされる。篠田の方は、通学帰りだった彼女を何度も見かけていたといい、「潮騒」など出演ドラマも見ていたという。そして「涙を、獅子のたて髪に」の主役に起用されたのであった。
これには事情があり、最初は主演である藤木孝の相手役には桑野みゆきが予定されていたという。人気歌手だった藤木は直前に渡辺プロを辞め、俳優へ転身しようとしていたのである。そんなこともあり、渡辺プロは藤木を使うんだったら今後いっさい協力しないと圧力をかけてきたのだという。そのゴタゴタから桑野は降りてしまい、新人でいくしかないということになり、加賀に目をつけたのであった。篠田には「私のことよく知りもしないで主役に使うなんて大丈夫なんですか?」などと言ったらしい。
この映画デビューの後で、加賀は正式に松竹と専属契約を結んだのであった。父の四郎とは仲は良かったが、父のいる大映には行く気はなかったという。自分の力で役を得ても、父の七光りと思われるのが嫌だったからである。
こうして松竹女優の加賀まりこは誕生したが、本人も言う通り怖いもの知らずで、大監督であった渋谷実であろうと「クソジジイ」とか平気で目の前で言い放ち、周囲をハラハラさせていたという。しかし、この渋谷にも木下恵介にも不思議と彼女は気に入られていたようである。
長くなってきたので次回に続く。