新東宝俳優録5 泉田洋志(今清水基二)その2、堀雄二 | お宝映画・番組私的見聞録

新東宝俳優録5 泉田洋志(今清水基二)その2、堀雄二

前回の続きであるが、泉田洋志(当時・今清水基二)は、やはり東宝から移ってきた市川崑監督の「三百六十五夜」(48年)に強盗の役で出演するのだが、助監督だった内川清一郎に「殺陣を付けてくれないか」と頼まれたのである。現代劇なので「技闘」と呼ばれるようになるが、泉田が柔道5段であったこともあるが、他の作品で立ち廻りのある役をやっていたのを見ていたことで推されたのであった。
主演の上原謙の家に忍び込んで、上原につかまるというのが泉田の役だが、そのシーンのアクションを泉田本人がつけたのである。これが好評で、それ以降現代劇の技闘は泉田が一手に引き受けることになったのである。
しかし、当時は「技闘」をクレジットする習慣はなく、技闘師・今清水一としてその名が出ることはほとんどなかった。
この「三百六十五夜」で、上原の仇役に大抜擢されたのが堀雄二である。第1期東宝ニューフェイスであり、三船敏郎、久我美子らと同期だったのだが、東宝がストライキ続きなのに業を煮やしたのか、すぐに新東宝に移籍してきたのである。この東宝ニューフェイスから新東宝に来たのは堀と野上千鶴子だけだったらしい。
泉田と堀は同じ東京下町の出身であり、しかも同じ早稲田(堀は中退)ということもあってか、気があったという。一度、泉田と堀、そして新人女優だった河端佐代枝、海はるこの4人で飲みにいったことがあったが、堀と河端は後に結婚したという(後に離婚)。
堀は50年には大映に転じ、51年に甲斐はるみと再婚している。54年に東映に転じ、「警視庁物語」シリーズ(56~64年)の全24本に長田部長刑事として出演。期間から考えると本来は東映俳優として書くべきだったかもしれない。その後「七人の刑事」(61~68年)の赤木係長としてお馴染みとなる。それにしても若い頃から、貫禄のある顔立ちで(22年生まれ)実年齢より15歳くらいは上に見えていた。
さて話は戻るが、役者としては大役を演じることは少なかった泉田が、一度主役に抜擢されかけたことがある。それが「恐怖のカービン銃」(54年)で、大映からきた田口哲監督が泉田を抜擢しようとしたが、そのとき三本の映画に掛け持ちで出演していたため、断念せざるを得なかったのである。代わりに抜擢されたのが天知茂であり、天知はこれをきっかけに軌道に乗っていくのである。
今清水基二から泉田洋志に改名するのは56年「銀蛇の岩屋」という作品からである。先輩俳優である倉橋宏明から「一緒に改名しないか」と勧められ、法華経の行者からもらった名前が「泉田洋志」だった。ちなみに倉橋は、それまで「大杉晋」という芸名だった。師匠の清川荘司などは、今清水の方がいいと言っていたが、一度変えた以上は泉田で行くつもりだったという。
泉田は59年頃からテレビの方でも活躍し始めている。明日香実という新東宝の後輩が「黒帯先生」(59年)というテレビ映画に抜擢され、「柔道のほうをお願いします」と言われ参加したのがきっかけだったという。
泉田は新東宝の倒産まで在籍はしていたが、すでにテレビの方が忙しくなっており、倒産前後のことはあまり詳しくないと語っていた。倒産以降テレビが活動の中心となっているが、実は60年代後半は多くのピンク映画に出演している。