大映俳優録16 仁木多鶴子
かつてプロ野球には東映フライヤーズ、松竹ロビンス、大映スターズなど映画会社が所有する球団が存在したが、大映スターズは57年に高橋ユニオンズと合併して、大映ユニオンズになり、翌58年には毎日オリオンズと合併し、毎日大映オリオンズ(通称は大毎)となっていた。オーナーは永田雅一であった。
「一刀斎は背番号6」(59年)には、その大毎に加えて、稲尾ら西鉄の選手が数人出演している。大毎で出演者としてクレジットされているのが、田宮二郎の名の元となった田宮謙次郎、山内敬子の名の元となった山内和弘はもちろん、高橋ユニオンズ出身の佐々木信也、エースの小野正一などである。ヒロイン役で出演しているのは、叶順子と仁木多鶴子である。
仁木は大映ニューフェースの11期生で、同期には藤巻潤や丸井太郎がいた。57年末にデビューし当初は本名の鶴田和子のままだったが、江戸川乱歩賞の小説を映画化した「猫は知っていた」(58年)の主演に抜擢されたのをきっかけに、原作者である仁木悦子にちなんで、仁木多鶴子と改名した。
60年には、弓恵子、宮川和子とのトリオで「お嬢さん三度笠」「東海道ちゃっきり娘」「銀座のどら猫」に主演したが、この年に前述のオリオンズの小野正一と結婚している。引退はしなかったが、出演本数は減っていき、「セックスチェック・第二の性」(68年)を最後に映画界を去っている。
小野正一は、この60年には33勝を挙げた当時の左腕エースで、通算184勝を挙げた大投手なのだが、今は忘れられた存在になっている気がする。実は例の黒い霧事件で、当時は中日にいた小野もその関与を疑われたのである。潔白となったが、この騒動に嫌気がさした小野は引退し、球界と縁を切ってしまったのである。コーチにも解説者にもなることがなかったので、次第にその存在を覚えている人が少なくなったのである。
そんなスター選手と結婚した仁木であったが、83年に44歳の若さで亡くなったという。その詳細は不明である。
話は前後するが、「一刀斎は背番号6」では、ラストに大リーグ選抜とパリーグ連合軍が闘うことになるのだが、主演の一刀斎役・菅原謙二はオリオンズの背番号6のユニフォームを着ている。
実際の59年のオリオンズの6番は佐々木信也であったが、この年限りで引退している。わずか4年のプロ生活だったが、毎年のように所属の球団名が変わっていたのである。その後、キャスターに転向し活躍するのである。
「一刀斎は背番号6」(59年)には、その大毎に加えて、稲尾ら西鉄の選手が数人出演している。大毎で出演者としてクレジットされているのが、田宮二郎の名の元となった田宮謙次郎、山内敬子の名の元となった山内和弘はもちろん、高橋ユニオンズ出身の佐々木信也、エースの小野正一などである。ヒロイン役で出演しているのは、叶順子と仁木多鶴子である。
仁木は大映ニューフェースの11期生で、同期には藤巻潤や丸井太郎がいた。57年末にデビューし当初は本名の鶴田和子のままだったが、江戸川乱歩賞の小説を映画化した「猫は知っていた」(58年)の主演に抜擢されたのをきっかけに、原作者である仁木悦子にちなんで、仁木多鶴子と改名した。
60年には、弓恵子、宮川和子とのトリオで「お嬢さん三度笠」「東海道ちゃっきり娘」「銀座のどら猫」に主演したが、この年に前述のオリオンズの小野正一と結婚している。引退はしなかったが、出演本数は減っていき、「セックスチェック・第二の性」(68年)を最後に映画界を去っている。
小野正一は、この60年には33勝を挙げた当時の左腕エースで、通算184勝を挙げた大投手なのだが、今は忘れられた存在になっている気がする。実は例の黒い霧事件で、当時は中日にいた小野もその関与を疑われたのである。潔白となったが、この騒動に嫌気がさした小野は引退し、球界と縁を切ってしまったのである。コーチにも解説者にもなることがなかったので、次第にその存在を覚えている人が少なくなったのである。
そんなスター選手と結婚した仁木であったが、83年に44歳の若さで亡くなったという。その詳細は不明である。
話は前後するが、「一刀斎は背番号6」では、ラストに大リーグ選抜とパリーグ連合軍が闘うことになるのだが、主演の一刀斎役・菅原謙二はオリオンズの背番号6のユニフォームを着ている。
実際の59年のオリオンズの6番は佐々木信也であったが、この年限りで引退している。わずか4年のプロ生活だったが、毎年のように所属の球団名が変わっていたのである。その後、キャスターに転向し活躍するのである。