大映俳優録12 長谷川裕見子、長谷川季子、長谷川待子
問題。長谷川裕見子、長谷川待子、小野道子のうち、長谷川一夫の娘は誰でしょう?答えは小野道子=長谷川季子である。
長谷川一夫は、戦後まもなく新演技座を主宰し、舞台活動、映画製作を行っていたが、そこに入ってきたのが姪である長谷川裕見子である。
裕見子は、新演技座の第1回映画である「小判鮫」(48年)に、長谷川一夫、山田五十鈴につぐ準主役級の役で映画デビューを果たしている。
長谷川一夫は50年に、大映に重役俳優として迎えられ、その際に裕見子も大映に入社している。長谷川裕見子といえば、東映のお姫様女優のイメージが強いと思うが、大映にも5年近く在籍していたのである。
この大映時代には、現代劇にも出演し、そこで夫となる船越英二とも共演している。55年に東映京都に転じ、そこからの活躍は有名であろう。
裕見子と入れ替わるように入社したのが、一夫の実娘である長谷川季子である。季子は裕見子の8歳下で51年に宝塚歌劇団に入団し、その年東宝の「若人の歌」で映画初出演を果たしている。
宝塚在籍のまま、大映映画数本に出演したりしていたが、56年に宝塚を退団し、正式に大映に入社した。それまでは本名で活動していたが、小野道子を芸名とした。長谷川一夫の娘を強調されるのが嫌だったのかもしれない。
個人的主観では、父親似だが異性受けする顔立ちではないように見える。そのせいか、専ら助演に回ることが多かった。61年に芸名を長谷川季子に戻したが、62年に大映を退社し、舞台に活動の場を移している。ちなみに、父・一夫も翌63年に大映を退社している。
季子と入れ替わるように、大映に入社したのが長谷川待子である。長谷川一夫と特に血縁関係はない。本名でもないようだし。こちらは、季子の1歳下で松竹歌劇団の出身である。
映画より先に「鳴門秘帖」(58年)などのテレビ時代劇で活躍。映画デビューは、出演経緯は不明だが、新東宝社長退陣後の大蔵貢が起こした大蔵映画の大作「太平洋戦争と姫ゆり部隊」(62年)での看護婦役であった。
翌63年に大映に入社し、悪女やセクシー系の役を演じることが多かった。ゆえに、方針転換後の大映でも需要があり、倒産するまで在籍していた。「スタアのいた季節」の中島賢によれば、優しい人柄のせいで会社に都合よく扱われたと書かれている。
大映等産後もテレビで活動し続け、02年頃までの出演記録がある。しかし、「はせがわまちこ」といえば、どうしても「サザエさん」の作者である長谷川町子を思い浮かべる人がほとんどであろう。同じ読みの女優長谷川待子の名は意外と知られていない気がする。
長谷川一夫は、戦後まもなく新演技座を主宰し、舞台活動、映画製作を行っていたが、そこに入ってきたのが姪である長谷川裕見子である。
裕見子は、新演技座の第1回映画である「小判鮫」(48年)に、長谷川一夫、山田五十鈴につぐ準主役級の役で映画デビューを果たしている。
長谷川一夫は50年に、大映に重役俳優として迎えられ、その際に裕見子も大映に入社している。長谷川裕見子といえば、東映のお姫様女優のイメージが強いと思うが、大映にも5年近く在籍していたのである。
この大映時代には、現代劇にも出演し、そこで夫となる船越英二とも共演している。55年に東映京都に転じ、そこからの活躍は有名であろう。
裕見子と入れ替わるように入社したのが、一夫の実娘である長谷川季子である。季子は裕見子の8歳下で51年に宝塚歌劇団に入団し、その年東宝の「若人の歌」で映画初出演を果たしている。
宝塚在籍のまま、大映映画数本に出演したりしていたが、56年に宝塚を退団し、正式に大映に入社した。それまでは本名で活動していたが、小野道子を芸名とした。長谷川一夫の娘を強調されるのが嫌だったのかもしれない。
個人的主観では、父親似だが異性受けする顔立ちではないように見える。そのせいか、専ら助演に回ることが多かった。61年に芸名を長谷川季子に戻したが、62年に大映を退社し、舞台に活動の場を移している。ちなみに、父・一夫も翌63年に大映を退社している。
季子と入れ替わるように、大映に入社したのが長谷川待子である。長谷川一夫と特に血縁関係はない。本名でもないようだし。こちらは、季子の1歳下で松竹歌劇団の出身である。
映画より先に「鳴門秘帖」(58年)などのテレビ時代劇で活躍。映画デビューは、出演経緯は不明だが、新東宝社長退陣後の大蔵貢が起こした大蔵映画の大作「太平洋戦争と姫ゆり部隊」(62年)での看護婦役であった。
翌63年に大映に入社し、悪女やセクシー系の役を演じることが多かった。ゆえに、方針転換後の大映でも需要があり、倒産するまで在籍していた。「スタアのいた季節」の中島賢によれば、優しい人柄のせいで会社に都合よく扱われたと書かれている。
大映等産後もテレビで活動し続け、02年頃までの出演記録がある。しかし、「はせがわまちこ」といえば、どうしても「サザエさん」の作者である長谷川町子を思い浮かべる人がほとんどであろう。同じ読みの女優長谷川待子の名は意外と知られていない気がする。