日活ロマンポルノ裁判
日活ロマンポルノ裁判が行われている中、山口清一郎監督と田中真理主演のコンビで撮られた第2弾が「恋の狩人/欲望」(73年)である。しかし、その内容が係争中の裁判を思わせるようなものであったためか、第3弾の「恋の狩人/淫殺」の撮影は会社によって中止させられた。
これ以降、山口の企画は採用されなくなり、76年には退社を余儀なくされたのである。結局、山口のロマンポルノ監督作品は2作のみで終わったのである。田中真理も退社し、前述の「恋の狩人/欲望」が最後の主演作となってしまったのである。つまり、彼女のロマンポルノでの活動期間は2年にも満たなかったのである。
田中はその後、テレビなどで活躍するが、山口がATGで77年に撮った「北村透谷/わが冬の旅」に、透谷夫人役で出演している。これ以降の山口の作品はないようである。
なお、ロマンポルノ裁判は、80年になって全員に無罪判決が下っている。
摘発された一作である「OL日記/牝猫の匂い」に主演した中川梨絵は子役出身の23歳であった。子役時代はNHKの「ホームラン教室」や「お笑い三人組」などに出演していたという。67年に東宝に入社し、「中川さかゆ」という不思議な芸名で「日本一の男の中の男」(67年)「フレッシュマン若大将」(69年)などに出演している。
67年東宝入社ということは、東宝ニュータレント7期生だった可能性がある。以前ここで書いたのだが、東宝では60年入社の16期までをニューフェースと呼び、61年からはニュータレントと呼称していたのである。
その前後である6期と8期は、活躍したメンバーも多いのだが、7期は伊吹吾郎くらいしか判明していない。まあ、伊吹は東宝では活躍していないし、中川も東宝では芽が出なかったので、ロマンポルノへの転進は成功といえるだろう。
その中川は、74年に「実録・阿部定」の定役に決まっていたのだが、東映が「実録飛車角 狼どもの仁義」のヒロイン(菅原文太の相手役)として、引き抜いていった。実は、東映が彼女を欲しがったというより、敏腕プロデューサーである俊藤浩滋が「阿部定」を監督する田中登を欲しがっており、そのための画策とも言われている。
これ以降、山口の企画は採用されなくなり、76年には退社を余儀なくされたのである。結局、山口のロマンポルノ監督作品は2作のみで終わったのである。田中真理も退社し、前述の「恋の狩人/欲望」が最後の主演作となってしまったのである。つまり、彼女のロマンポルノでの活動期間は2年にも満たなかったのである。
田中はその後、テレビなどで活躍するが、山口がATGで77年に撮った「北村透谷/わが冬の旅」に、透谷夫人役で出演している。これ以降の山口の作品はないようである。
なお、ロマンポルノ裁判は、80年になって全員に無罪判決が下っている。
摘発された一作である「OL日記/牝猫の匂い」に主演した中川梨絵は子役出身の23歳であった。子役時代はNHKの「ホームラン教室」や「お笑い三人組」などに出演していたという。67年に東宝に入社し、「中川さかゆ」という不思議な芸名で「日本一の男の中の男」(67年)「フレッシュマン若大将」(69年)などに出演している。
67年東宝入社ということは、東宝ニュータレント7期生だった可能性がある。以前ここで書いたのだが、東宝では60年入社の16期までをニューフェースと呼び、61年からはニュータレントと呼称していたのである。
その前後である6期と8期は、活躍したメンバーも多いのだが、7期は伊吹吾郎くらいしか判明していない。まあ、伊吹は東宝では活躍していないし、中川も東宝では芽が出なかったので、ロマンポルノへの転進は成功といえるだろう。
その中川は、74年に「実録・阿部定」の定役に決まっていたのだが、東映が「実録飛車角 狼どもの仁義」のヒロイン(菅原文太の相手役)として、引き抜いていった。実は、東映が彼女を欲しがったというより、敏腕プロデューサーである俊藤浩滋が「阿部定」を監督する田中登を欲しがっており、そのための画策とも言われている。