山本晋也、デビューする | お宝映画・番組私的見聞録

山本晋也、デビューする

ピンク映画の監督で、最も有名な人物といえばやはり山本晋也ということになるのではないだろうか。
本名は伊藤直(ただし)といい、仲間うちでは「チョクさん」と言われているらしい。日大を出た後、岩波映画へ入社し羽仁進の助監督となる。NET(現テレビ朝日)のADを務めた後、ピンク映画の助監督に転向した。これは、テレビだとギャラが七千円だったのが、ピンク映画だと四万円になったからだという。
小森白の東京興映での「狂い咲き」(65年)が監督デビュー作品である。当時まだ25歳であった。その若さでの監督昇進は珍しく、古参スタッフからは妬まれたりしたという。
三年目くらいから、エロティックコメディに才を見せるようになり、「女湯」「痴漢」「未亡人」の三シリーズを軸に70年代にかけて、250本もの作品を撮影した。
喜劇を撮るようになったのは、結婚したこと(67年)で、恐妻意識が芽生えたことがきっかけだったという。
「女湯」シリーズは、当時人気だったドラマ「時間ですよ」への対抗意識から作ったという。その一作目は「女湯物語」(68年)である。
「痴漢」シリーズは、ギネズブック掲載を目標に40本ほど撮られたが。達成には至っていない。その一作目は「痴漢の季節」(68年)。
「未亡人」シリーズは、「貸間あり・未亡人下宿」(69年)を皮切りに10数本を数える。主役の未亡人は小島マリ、青葉じゅん、大原恵子、橘雪子、すばる卿子と変わっているが、話のパターンは一緒である。やがてこのシリーズはにっかつの買取作品となり、ロマンポルノと併映されることになっている。
やがて、テレビに進出し山本晋也の名を有名にしたのは深夜番組「トゥナイト」(81~94年)であろう。「中年・晋也の真面目な社会学」というタイトルの、要するに性風俗レポートのコーナーで、個人的にも、山本のことを知った。
「トゥナイト2」(94~02年)とあわせて、約21年もの間出演し続けていたことになる。その一方で、ほとんど映画を撮ることはなくなっている。個人的にはあまり見かけないのだが、70半ばとなった現在でも、テレビに顔を出すことがあるようだ。