月曜日のユカ
谷隼人の本当のデビューは「少年ケニヤ」(61年)の原住民の少年タリタリ小僧だったことは、割合知られている。当時は中学生で、その出演の経緯はわからないけれども。この番組にはニューフェースになる前の藤江リカ(当時18歳)も原住民の少女ポンコという役で出演していた。そのため彼女は東映では「ポン子」と呼ばれていたらしい。
で、その二年後谷隼人こと岩谷肇少年は高校を中退し、日活ニューフェースとなったのだが、翌年にはやめてしまい、その二年後(66年)に東映にスカウトされるという、結構面倒くさいルートを歩んでいる。で、その日活時代の出演作品で割合有名なものといえば「月曜日のユカ」(64年)あたりであろうか。
主演は加賀まりこ(松竹)。なぜ他社の女優かといえば、基本的に清純派路線の日活には加賀のような小悪魔的で脱ぎっぷりのよい女優はいなかったからではないだろうか。その相手役は中尾彬。デビューは61年だが、元々美大の出身で絵画を勉強していたため、そちらもあきらめられず63年には仏留学してしまい映画には出演していない。そのような経緯もあり注目されたのは本作からのようである。他には加藤武、梅野泰靖、北林谷栄など。まあ加賀まりこの美しさを堪能する作品といえよう。
で谷隼人(岩谷肇)だが、名前はクレジットされているが、加賀まりことクラブで一緒に踊っている若者という役どころ。谷の他にもニューフェース同期の沖田駿一(吉田毅)も同様で、やはり同期の山本陽子なんかもクラブのホステスというチョイ役である。沖田駿一は日活時代は吉田毅、吉田武史、吉田昌史などを名乗っていた。チンピラや不良の役が多いが、有名なのは「ウルトラマンA」の山中隊員だろうか。谷や沖田と一緒に踊っている若者役には山本正明もいて、彼は後に「忍者部隊月光」の終盤に満月役でレギュラーとなる。その時の芸名は山本磯六(数年で元に戻す)であった。彼で有名なのはやはり「ウルトラマンA」の今野隊員(デブな人)であろうか。八年後にTACの隊員となる二人が妙なところで共演していたのである。
で、その二年後谷隼人こと岩谷肇少年は高校を中退し、日活ニューフェースとなったのだが、翌年にはやめてしまい、その二年後(66年)に東映にスカウトされるという、結構面倒くさいルートを歩んでいる。で、その日活時代の出演作品で割合有名なものといえば「月曜日のユカ」(64年)あたりであろうか。
主演は加賀まりこ(松竹)。なぜ他社の女優かといえば、基本的に清純派路線の日活には加賀のような小悪魔的で脱ぎっぷりのよい女優はいなかったからではないだろうか。その相手役は中尾彬。デビューは61年だが、元々美大の出身で絵画を勉強していたため、そちらもあきらめられず63年には仏留学してしまい映画には出演していない。そのような経緯もあり注目されたのは本作からのようである。他には加藤武、梅野泰靖、北林谷栄など。まあ加賀まりこの美しさを堪能する作品といえよう。
で谷隼人(岩谷肇)だが、名前はクレジットされているが、加賀まりことクラブで一緒に踊っている若者という役どころ。谷の他にもニューフェース同期の沖田駿一(吉田毅)も同様で、やはり同期の山本陽子なんかもクラブのホステスというチョイ役である。沖田駿一は日活時代は吉田毅、吉田武史、吉田昌史などを名乗っていた。チンピラや不良の役が多いが、有名なのは「ウルトラマンA」の山中隊員だろうか。谷や沖田と一緒に踊っている若者役には山本正明もいて、彼は後に「忍者部隊月光」の終盤に満月役でレギュラーとなる。その時の芸名は山本磯六(数年で元に戻す)であった。彼で有名なのはやはり「ウルトラマンA」の今野隊員(デブな人)であろうか。八年後にTACの隊員となる二人が妙なところで共演していたのである。