黒田騒動
近衛十四郎といえば松方弘樹に目黒祐樹、阪東妻三郎といえば田村高廣・正和・亮、市川右太衛門といえば北大路欣也、それでは片岡千恵蔵は?正解は植木基晴・植木千恵である。
聞いたことがないという人も多いと思うが、なにしろ二人が子役として活躍していたのは1950年代なので、正直私も実際に見たことが無い。
他の二世俳優が長く活躍しているなか、植木兄妹は学業を優先して、あっさりとそのまま引退してしまっている。デビューは妹の千恵が早く53年で、基晴は55年「血槍富士」で10歳の時であった。「血槍富士」の主演はもちろん父である片岡千恵蔵で、この作品には兄妹そろって出演している。この三人そろっての共演は「だんまり又平 飛龍無双」(56年)とか「忠臣蔵」(59年)とかがあり、だちらか片方との共演や、基晴・千恵それぞれ単独での出演ももちろんある。ちなみに「忠臣蔵」は東映オールスターキャストらしく市川右太衛門・北大路欣也(当時16歳)親子も出演している。
「黒田騒動」(56年)も千恵蔵が主演で、基晴と千恵も共演しているが、もう一人出演者の中に植木義晴という名前がある。千恵蔵には四男一女がいたということで、明らかに彼の息子であろう。もう一人片岡千恵太郎という名前もある。これは千恵蔵の弟子と考えることもできるが、何か名前が子供くさい。三人が本名で、一人だけ芸名というのも変だがありえない話ではない。ちなみに義晴も千恵太郎もそれぞれ映画に二本出演したという記録しかない。記録上は千恵太郎は57年、基晴と義晴は59年、千恵は60年までの活動となっており、全員高校生になる前には(千恵太郎は何者か不明だが)、映画界から退いたようである。
さすがに引退して50年近くたっていると記録らしい記録が見つからない。大スターの子供とはいえ、意外とわからないものだ。ちなみに基晴はその後、銀行員になったそうだ。
聞いたことがないという人も多いと思うが、なにしろ二人が子役として活躍していたのは1950年代なので、正直私も実際に見たことが無い。
他の二世俳優が長く活躍しているなか、植木兄妹は学業を優先して、あっさりとそのまま引退してしまっている。デビューは妹の千恵が早く53年で、基晴は55年「血槍富士」で10歳の時であった。「血槍富士」の主演はもちろん父である片岡千恵蔵で、この作品には兄妹そろって出演している。この三人そろっての共演は「だんまり又平 飛龍無双」(56年)とか「忠臣蔵」(59年)とかがあり、だちらか片方との共演や、基晴・千恵それぞれ単独での出演ももちろんある。ちなみに「忠臣蔵」は東映オールスターキャストらしく市川右太衛門・北大路欣也(当時16歳)親子も出演している。
「黒田騒動」(56年)も千恵蔵が主演で、基晴と千恵も共演しているが、もう一人出演者の中に植木義晴という名前がある。千恵蔵には四男一女がいたということで、明らかに彼の息子であろう。もう一人片岡千恵太郎という名前もある。これは千恵蔵の弟子と考えることもできるが、何か名前が子供くさい。三人が本名で、一人だけ芸名というのも変だがありえない話ではない。ちなみに義晴も千恵太郎もそれぞれ映画に二本出演したという記録しかない。記録上は千恵太郎は57年、基晴と義晴は59年、千恵は60年までの活動となっており、全員高校生になる前には(千恵太郎は何者か不明だが)、映画界から退いたようである。
さすがに引退して50年近くたっていると記録らしい記録が見つからない。大スターの子供とはいえ、意外とわからないものだ。ちなみに基晴はその後、銀行員になったそうだ。