ある日私は | お宝映画・番組私的見聞録

ある日私は

和田浩治は前述のとおり、63年頃まだ20歳前だったのだが、脇に回ることが多くなっていった。替わりに台頭してきたのが、同年齢の高橋英樹(61年デビュー)、年上の渡哲也(65年デビュー)などであった。和田の場合、少年であることが売りだった部分が多く、成長するにつれ個性が薄れてきたと捉えられた感がある。デビューがもう少し遅ければ、また違っていたのかもしれない。60年代になると「映画俳優」と言われる人もテレビへ出演するようになってくるが、和田ももちろんテレビへの出演が多くなってくる。今回はその中から、「ある日私は」(67年)というドラマを取り上げてみたい。

主演は日活の人気女優として台頭していた松原智恵子で、つまり本作は日活制作のドラマである。松原智恵子は66年頃からテレビに出演しだしているが、ほとんどが主演であった。本作も「女子大生の主人公(松原)が4つの恋愛を通して成長していく物語」だそうだが、半年(放送期間)で四つの恋愛とはなかなかのプレイガールである。和田浩治はその相手役の一人でレーサーだそうである。で残りの三人だが、出演者の顔ぶれから判断すると川口恒(浩の弟)、津川雅彦(長門裕之の弟)、松山省二(栄太郎の弟)の次男坊トリオだろうか。ひょっとして松山の代わりに早川保かもしれない。他の出演者にジュディ・オング、梶芽衣子(当時は太田雅子)、ここでも和田と一緒の大坂志郎、大御所の佐野周二、高峰三枝子と中々豪華なメンバーが揃っている。主題歌はジャッキー吉川とブルーコメッツの「何処へ」という歌らしいが、この次に出すシングルがあの大ヒット曲「ブルーシャトウ」である。