https://mainichi.jp/articles/20170503/mog/00m/040/002000c
GWということで、のんびりしておりましたらTwitterでこんな記事が流れてきました。
ふーんと眺めていたらこんな一文が目に飛び込んできました。
「マーケットになって、はじめて人権が得られるという側面はあると思う。(一部引用)」
さて、人権というものは何なのでしょうか。
確かに、人権という言葉は(権利という言葉でさえも)日本では難しい言葉ととらえられています。
実際、Human Rightsという言葉が日本にきた時、福沢諭吉でさえも翻訳に苦戦した、ということを聞いたことがあります。
それくらい馴染みがないものだったのです。
そしてそれは今も続いています。
しかし、だからと言って、本質を違えていいものでもありません。
では、分かりやすく視覚化するならばどうなるのか。
手話が結構、的確に表しています。
ネットで検索すれば出るのかな?
旧タイプと新タイプがあるらしいので、これがどちらに当てはまるかは分からないのですが、こうです。
利き手の人差し指でで目の前に「人」と描き
もう片方の腕を曲げ
利き手の指で力こぶを描く
これが「人権」という表現になります。
人が持っている力、のことなんです。
産まれ落ちた瞬間から、すでに持っている力のことなのです。
「優しさ」や「思いやり」といったものではありません。
誰かから恵んでもらうものでもありません。
高き場所から低き場所に流れる水のようなものでもありません。
このような解釈をしていると、社会的強者や権力者、政治家などの気まぐれに左右される何とも頼りないものとなります。
そうではありません。
元からある「力こぶ」なのですから。
ベクトルが全く違いますよね。
あなたは寝ていたとします。
寝ている間は何も生産性はありませんよね?
では、何も生まないからといって起こされたらどうでしょう。
理不尽ですよね。
寝るということは生きていく上で重要な要素です。
それは守られるべきだということです。
そして、これを理不尽だと言うことが出来るのは人権があるからなのです。
ちょっとイメージつきましたでしょうか。
人権を考える、語るというのはその人の人としてのあり方、心のあり方を示しているのではないかと思うことがあります。
私はいろんな人の「力こぶ」が見たい。
小さい、大きいなんて関係ない。
ただただ、人として内側に潜む光を、どんな暗闇の中にあっても見つけてみたい。
それは、お金という単純化した分かりやすさではなく、酷く地道な分かりにくいもの。
一人一人とゆっくり、時には喧嘩しながら対話するもの。
この分かりにくく、時間がかかるものであるから、競争原理とは水が合いません。
非効率ですから。
それでも、ありとあらゆるレイヤーを飛び越えて、人であるならば
もっと言うならば、この地球上にあるもの全てを尊重できる「私」になるためにはどうしたらいいのだろう
そう悩むもの。
そして、そう考える人が増えてほしいと願い、ささやかながらでもその願いを口にすることが
結果的に社会を動かすと思います。
結果のために大義を見失えば、出来たものは砂上の楼閣となるでしょう。
そして、結果を急いで、自分を尊重する気持ちを忘れてはなりません。
まんざら悪くない自分を探す冒険をしてみましょうよ。
お金とか権力とか、そのような付属品に人権は宿りません。
人権はあなたの中にあるのです。
あなたの中の「力こぶ」
見えなくしていませんか?