お久しぶりです。
ブログあったの忘れてました
年末辺りからバタバタしていて、
「まぁ読者なんていないし」
とか思ってたら…あれ?毎日アクセスはあるのこれ?
さて。
『多様性』
よく聞きますね。
英語のdiversityを直訳すると『多様性』なのだけど、本来の意味に沿って和訳するならば
多様な人々が共に生きる社会
これだと私は解釈しています。
それで。
あっちゃもこっちゃも『多様性』『diversity』なんですけども
ちょっと、「え?!」と思うことも多々あります。
「ちょっとこの事についてAという意見がある。私はBも知ってはいるが、Aを推したい。」
(私はB意見に賛成でAは嫌なんだよね)
「そうなんですか。多様性だからね~」
こんな会話が時折見受けられるわけです。
それってdiversityじゃなくね?
と心で突っ込むことが多いんです。
私はこれをこっそり「逃げの多様性」と名付けてます。
つまり、どうにもこうにも受け入れられないけれど、世の中こういう風潮だからあからさまに意見言うとまずいから
「多様性だからね~」
で逃げを打つわけです。
多様性について考える際に必要なことは
・受容
・尊重
・対話
この3つだと私は考えています。
でも、この受容の所で止まっているんです。
だから、ズレていく。
本を沢山読んで
「この人の○○って本に××はこうって書いてあったから知ってる、知ってる」
となる。
知識の多寡ではないのです。
知識の多寡だけで図るなら、教育後進国の人はdiversityが理解できないことになる。
そんなことではないのです。
どういう「心のあり方」なのか、そこが問われているのです。
受容があって初めて、「この人(目の前にいる人)」を尊重しようかとなるわけです。
ぞの人の「人としての総体」を見なければならないのです。
○○だから、ではダメなのです。
「だから」とついたら、まず受容の段階でつまづいてます。
まずは、心のヘソを相手に向けてほしい。
そう願ってやみません。
通常は、尊重や対話の段階で色々難しいことになるのに、何故に受容の段階でそうなるのか
そんなことを考えながらも出来る仕事が楽すぎます(そこかよ)