月曜日から壮大に風邪をひき、やっと熱が下がってきた鉄です。
お仕事大変…orz

さて、今週は人権週間です。
人権週間ってなに?って方はこちら、法務省のページを。

(以下抜粋)
国際連合は,1948年(昭和23年)12月10日の第3回総会において,世界における自由,正義及び平和の基礎である基本的人権を確保するため,全ての人民と全ての国とが達成すべき共通の基準として,世界人権宣言を採択したのに続き,1950年(昭和25年)12月4日の第5回総会においては,世界人権宣言が採択された日である12月10日を「人権デー」と定め,全ての加盟国及び関係機関が,この日を祝賀する日として,人権活動を推進するための諸行事を行うよう,要請する決議を採択しました。

我が国においては,法務省と全国人権擁護委員連合会が,同宣言が採択されたことを記念して,1949年(昭和24年)から毎年12月10日を最終日とする1週間(12月4日から同月10日まで)を,「人権週間」と定めており,その期間中,各関係機関及び団体の協力の下,世界人権宣言の趣旨及びその重要性を広く国民に訴えかけるとともに,人権尊重思想の普及高揚を図るため,全国各地においてシンポジウム,講演会,座談会,映画会等を開催するほか,テレビ・ラジオなど各種のマスメディアを利用した集中的な啓発活動を行っています。
 皆さんもお近くの催しに参加して,「思いやりの心」や「かけがえのない命」について,もう1度考えてみませんか?

抜粋終わり。

そして、初日当日の法務省人権擁護局のツイートがこちら。

思いやりの心…(´・ω・`)
思いやりと人権は違うよってことは前回(ずいぶん前やね)のブログで書きましたが、そこを今回は深堀りしていきましょう。
はっきり言って長いよ!

さて、「思いやり」とはなんでしょうか。

他人のために気遣ったり同情したりする気持ち。
辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書 より

人権問題って思いやりで何とかなるものでしょうか?
同情で何とかなるものでしょうか?

ここについて、ネットをさまよってみるといろいろ書かれていたりします。
(あとでリンクしておきます)

まぁ、人権って言葉が難しいと認識されていることは知っているんです。
そもそもの権利というものですら、あやしい人が多いわけですし。
厳しい口調で書き連ねればいくらでも出てくるのですが、そこは割愛。
ここを読むような人はそういう話題は望んでいないと思うしね。
…っていうか、壮大な愚痴になるからね!

閑話休題。
思いやりの精神と人権を意識した権利意識、どちらが実践するのに楽だと思いますか?
私は人権を意識した権利意識の方が圧倒的に楽だと思います。
よくある事故として、所謂弱者と呼ばれる人を支援しようとして失敗するなんて話があります。
だいたいこういう志を抱く方は、「優しい」人なんです。
ですが、支援されている人の自立(または自律)する精神を奪い、時には依存を超えた中毒状態にしてしまう。
同情的になり、失敗の先回りをしてしまう。
結果、支援されている人は、権利意識や自分の尊厳というものがあやふやになり、時に激しく怒り、時に無力感にさいなまれる。
そんな事故をみかけます。
「思いやり」を持っていたのにどうしてそうなるのでしょう。
知識が足りないとか様々言われるのですが、私は人権意識が希薄だからじゃないの?と思ってしまいます。

目の前にいるこの人には人権がある。
そして私にも人権がある。
こう意識をしていないと、人間というのはついつい相手をコントロールしたがる。
だからこういう事故が起こるのだろうなとか思います。

最後に。
今日は人権週間最終日の人権デー。
国連人権理事会から日本は218項目の勧告を受けています。
今後そのようなものは増えるでしょう。
同情の目からではなく、権利の問題として人権というものを考えてみてはどうでしょうか。

「人権」を「思いやりの心」にすり替えてはいけない~人権週間に寄せて思うこと
Afternoon Cafe様 より

ヒューマンライツ大阪

大変面白い記事があったので、リンクさせていただきました(´ω`*)