最近、年老いた親の面倒を見るようになった。

昔の話を聞く。

子供の頃の話。

若い頃の話。

結婚した頃の話。

そして、つい最近の話。

どれを聞いても、少し不思議な気持ちになる。


子供の頃、親は大人だった。

何でも知っていて、

何でも分かっていて、

何でも出来ると思っていた。

怒られれば、自分が悪いんだと思った。



だって、親は大人だから。


でも、違った。

年を重ねて、親の話を聞くようになると分かる。

親も迷っていた。

親も悩んでいた。

親も不安だった。

親も、どうしたら良いのか分からなかった。


ただ、必死だった。

特に思うのは、親の怒りだ。


子供の頃は、怒っているように見えた。

うるさい。

厳しい。

口うるさい。

何でそんな事を気にするんだろう。

そう思っていた。


でも今なら、少し分かる気がする。


あれは怒りではなく、畏れだったのかもしれない。

世間体。

近所の目。

親戚の目。

常識。

体裁。

恥。

そういうものを、やたらと気にする世代だった。


いや。親だけじゃない。

親戚一同、みんなそんな感じだった。

お互いがお互いを縛り合う。


窮屈なのに、そこから外れる事を恐れる。

だから、強がる。

弱さを見せない。

不安を見せない。

怖いとも言えない。


だから、

怒る。

叱る。

正しさを振りかざす。

今なら、そんな風にも見える。

年老いた親の話を聞いていると、

本音や弱音が出てくる。

その度に思う。


あぁ、

そうだったんだ。

親も苦しかったんだな。

親も怖かったんだな。

親も大人じゃなかったんだな。

不思議なものだ。


昔は、親の気持ちなんて分からなかった。


でも、今は少し分かる。

理解出来る年頃になったのかもしれない。


そして、もっと不思議なのは。

親の話を聞いているはずなのに、

どこか未来の自分の話を聞いているような気もする事だ。

大人になれば、分かると思っていた。

でも、誰も思っていたほど大人じゃなかった。

ただ、みんな必死に生きていただけだった。

そう思うと、少しだけ肩の力が抜ける。

🤭


🚪大人の入口


山本哲也 ✍️📝

大人の入口開いてます☝️