小さな歯車でいい。
昔は、
大きいことが正しいと思っていた。
大企業。
大都市。
大量生産。
大量消費。
大人数。
影響力。
フォロワー数。
数字。
数字。
数字。
でも、
大きくなり過ぎると、
人間の顔が見えなくなる。
誰が作ったのか。
誰が決めたのか。
誰が責任を持つのか。
誰の為なのか。
分からなくなる。
最近、
そんな違和感を持つ人が増えた気がする。
知らんけど。
だからなのか、
小さいモノに惹かれる。
ローカル。
路地裏。
小さな店。
顔が見える距離感。
持ち寄って、
持ち帰る関係。
みんな先生。
みんな生徒。
みんな師匠。
みんな弟子。
得意不得意。
お互いさま。
そんな空氣。
たぶん、
人間はずっと、
“間(はざま)”
の中を生きている。
白か黒じゃない。
正解か不正解じゃない。
成功か失敗じゃない。
揺れながら、
迷いながら、
笑いながら、
生きている。
だから、
完璧な答えなんか、
最初から無かったのかも知れない。
気になっていた事。
違和感だった事。
言葉に出来なかった感覚。
それが、
少しだけ言語化され始めている。
そんな感覚。
この世界は、
写し世。
写し、
映し、
移し、
遷しながら、
人も場も、
空氣も変わっていく。
だから、
全部壊す必要もない。
残せる部材は残す。
使えるモノは使う。
腐った部分だけ、
組み替えればいい。
まるで、
古い日本建築みたいに。
しなって、
揺れて、
呼吸しながら、
残り続ける。
大きな歯車じゃなくていい。
小さな歯車でいい。
でも、
ちゃんと噛み合う歯車。
そんな場が、
少しずつ増えたら、
面白いんじゃないだろうか。
知らんけど。
