信じられない話なので

信じなくても良い話です。

でも本当の話です。


信じるか?信じないか?

本人の選択ですよ。


『何が起こってもあなたの体験したかった事』

に過ぎないのです。

そして

何をやっても

何が起こっても

『罪』と『罰』は在りません。


『罪』は『つつみ隠す』の略です。


『罰』という『概念』は

『支配者が支配する為に作り出した幻想』です。


他者から与えられるモノではなく

自己責任で顕れるモノです。

全て『自分自身で作り出したモノ』

周りのせいにしている限りループします。

『自分自身の意識・認識』に過ぎないのです。


タクシーを利用した事あります?

①タクシーを見つける

②乗車をお願いする

③乗らせてもらう

④行き先を伝える

⑤目的地まで届けてもらう

⑥料金を支払う

⑦お礼の言葉をかける


人生は

『この世界に生まれる前から、この世界で言う永眠するまでタクシー利用』と全く同じです。


あなたは、既にタクシーに乗っています。

但し、事あるごとに『乗り換え』ています。

行き先を変えているでしょ?


食事だったり

買い物だったり

学校だったり

仕事だったり

遊びだったり

トイレだったり

お風呂だったり

布団の中だったり


日常生活の些細な事

当たり前だと思ってる事

あなたが『したい』って思って

行動する瞬間、瞬間の事です。

思い返したみてください。


目的が変わる事に全て乗り換えです。


そして、その

『タクシーは何?ドライバーは誰?』

と思われた方。

素晴らしいです。


なんとも思わない、感じない方。

大丈夫です。

あまりにも普通過ぎて分からない。

感じない。

地球上で99.99%は気付かない

はずです。

絶妙に一心同体で、馴染み過ぎて無意識下なので当たり前になっています。


そうです。

当人にとって

当たり前なんです。

当たり前なんかじゃないのに。



タクシー利用も含めて便利で当たり前

だと思っている人が余りにも多い気が

します。


接客サービスを受けている時の

態度が『その人の本質』を

体現しています。


つまり

『その人の人生そのもの・縮図』

だと思ってください。


頼み方、支払い方、言葉遣い

そして態度です。


あなたが『思いを伝える』際

相手が知ってて当然の如くオーダー

します?


この、オーダーの仕方が

スピリチュアルタクシーと同じです。


魂・心・本心を言霊(ことだま)に

変化して理解しやすいように

言葉にします。


そして『お願い』します。

叶えてもらったら

『感謝』の言葉を述べます。



何処にでも新人さんも居ます。

不慣れな事もあります。


そんなの、お構い無しに自分の

言いたい事だけ言っても

伝わらない時もあります。


ミスした時

『あなたは、どうする?』

これは、『神さまからの試験』

なのですよ。

相手がミスしたのでないのです。

お願いの仕方をミスしたのです。


どう対処するのか?

どうお願いするか?

そして『相手は鏡』です。

気付きのサイン。


だから、相手が悪いのではなく

自分自身を見つめ直す機会の

ギフトです。答えは個別なので

解りませんが、大体の問われる

テーマは同じです。

感情で発した言葉は『自分への言葉』

但し、『神さまのお言葉』だとは

思いもしないでしょう。


『神さま』が『神さま』に

お願いして叶えてもらい感謝する。


不満を露わにするか

許せるか?

許せないか?

感情の選択

行動の選択

『神さまの試験』無事にクリアして

合格したのでしょうか?


気分悪いのなら『不合格』

気分が良いのなら『合格』

その繰り返しです。

『現実』だと思っている

『世界』は

『見せかけの試験』


なので、あなたが

『見せかけの世界を認識出来る人』

ならば

◉感じ悪いなぁ…

◉合わないなぁ…

◉楽しくなれない人だなぁ…

◉早く『この場から離れたい』

という場面があると思います。


そんな時には

『その人とは関わらない』方がいいですよ。


その人とステージが違うのです。

気が合わない・波長が合わない

波動(振動数)が違い過ぎる


所謂『次元が違う』とも言えます。


今現在、多くの人が次元の違いを数字で表現されて いますが、違います。

余計に解らなくなるでしょ?

人それぞれの『モノサシ』があって、一概に

数字に置き換えるのは不自然です。

感覚と経験が違うのだから仕方ないのですが

それが『世界が違う』とも言えます。

1人1人の世界が違うのは、『世界』という名の

『フラスコ』だと思ってください。


その人独自の『世界(フラスコ)』が、それぞれ

あって、その中に生きている。


まだまだ『井の中の蛙』『フラスコの中の小人』

なんです。

水溜まりの中に群らがるボウフラの様な生き方

だと僕は思っています。

小さな世界でワイワイガヤガヤ騒いで責任転嫁するのか

騒ぐ事さえ諦め静かに我慢しながら心の奥底では怒りが

煮えたぎり、許す事を忘れてしまうのか?


どちらにせよ、その感情は『外に向けている』ようで

自分自身へ矛先を向けた感情に過ぎません。

責任転嫁したとて、そのエネルギーは自分自身へ

返るだけなので、エネルギーは倍増していくだけです。


いつまでも変えたい状況が続いてもなかなか変わらない理由です。


①無知の知で知りたい欲望に従い、真実に辿り着ける

生き方なのか?


②知ってるつもりで流されて生きるのか?


そもそも分類したがる

コレが正しい‼︎

アレは間違っている!

と主張したがるのは賢いと

思われたい人の思考

劣等感を隠したい心理なので

アテにならない。


1番大切で真実なのは

『あなたは正しく、真実』である

『あなたの真実と人の真実は違う』

そして『人の数だけ真実がある』

人の数だけ世界(真実)が在る。

だから感じ方・見え方・聞こえ方

表現の仕方まで違うんです。


コレが分からない限り

情報に惑わされ、感情に振り回され

他人軸での生き方しか出来ない。

世界を周りを政治を誰かを何かを変えたい。

その感情で闘いたい人もいます。

味わいたいんです。

体験したいんです。

なので、『それも正解』


元々、1つだったのが、分類・分離しないと理解

出来なかったので『分かれ』を選択した太古の流れが

あったので、その名残りだと思っています。

前世からの因果応報『因縁』『怨み』『つらみ』

感情エネルギーは残存し続けるので現世で写さないと

消えないから『因果応報』は果たし切る、自分で撒いた

タネは自分でしか刈り取れない。


同様に

『神と人(霊止ひと)』

そのメッセージとして鏡が神具とされている。

その『鏡』の意味として、写った自分自身が『神』

で在る事。

『かがみ』の『が(我)』を抜いたら『かみ(神)』

で在る事。

この世界は『写し世』で在る事。


日常生活、上部だけの世界、見せかけの世界に

呑み込まれていると気付けない領域に生き

そこから出られない人々の世界。

それは『モブの世界』背景としての登場人物

と同じ類だと思ってください。


柵(しがらみ)と制限、制約の世界。

まあ、『地獄』と言われる世界。

天国を夢見て終わるかな?

たぶん終わりのない世界。


何を信じ

何を選択し

どう生きたいか?

それが

『あなたの選択』

『あなたの世界』

結論、自己責任と言われる所以です。

周りのせいにしている限りいつまでも

続きます。


今は分からないでしょう。

時が来れば『分かる』

誰かのその時まで『僕は待てない』ので

光の柱となる存在を育てたいのです。


どんな状況になっても

世界中の光となる人を…

超古代文明から何度も成し得なかった大作戦です。

水溜りのボウフラ文明と共に消えゆくも善し。

水溜りのボウフラ文明から抜け出したパラレル

ワールドで新たな超文明を共に築くも善し。


募集はしていないので、御縁で繋がる人のみの限定

情報ですので口伝として残るのか?伝説で終わるのか?

今から楽しみです。