映画『悪は存在しない』。衝撃のラストの意味を考える | てっちゃんの明日を探して

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小説やドラマの感想、それと時事問題について、思ったことを書き殴るブログです。

週末、またしても映画を観てきました。

それが、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を獲った『悪は存在しない』。

 

 
あらすじはこちら下差し
長野県、水挽町(みずびきちょう)。自然が豊かな高原に位置し、東京からも近く、移住者は増加傾向でごく緩やかに発展している。代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(西川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。しかしある日、彼らの住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。
 
いやあ、体調が万全じゃないときに、こういう映画を観に行ったらいかんね。
前日、品川で大嵐に遭いつつも飲み会に参加したので、寝不足&酒がちょっぴり残った状態で行っちゃったのよ滝汗
だって、うちの近所の映画館、この映画をたった1週間しかやらないんだものゲロー
それでも、お子様向けアニメと、アイドル邦画と、ドンパチ洋画しかやらない映画館にしては上出来。
なので「這ってでも週末観る!」となったわけですよおいで
 
なんとなく予想したとおり、美しい風景の映像が流れ続ける序盤、正直、私はちょっと眠かったショボーン
冬の森の木々を下から撮影しながら移動していく映像は、天然のレースのようで本当に美しかったの!!
清冽なわき水も、鹿の足跡の残る雪原も、本当に美しい。
・・・でも、あくびは出るショボーンショボーン
 
ただ!!!!
ラストを観た後は、衝撃でしばらく席を立てなかったね!
その衝撃というのは「あの人がカイザー・ソゼたったのか!」とか「あの人はじつは死んでいたのか!」とか「いきなり怪物が水の中から!(←この映画何だったかどうしても思い出せない💦)」とかいうのとは違うの。
 
「え?なんで?」滝汗滝汗滝汗
 
このひと言に尽きる。
主人公が今、ここで、なんでそんなことをしたのか、まったく理解できないの😱
後ろのほうで小学生の子どもが「ねえ、あれなんでそうなるの?っていうかどうなったの?ぜんぜん意味分からない」と親に訴えていたけれど、当然だよ、ボウヤ。
おばちゃんにもまったくわからない滝汗
というか、小学生にこの映画を見せる親、すごいな。
別に映倫からなんの制限もついてない映画だけど、これを観て小学生が面白いと思えたらすごい!
 
で、家に帰ってから考える。
あのラストはいったいどういう意味だったのか。
実際のところ、何が起こったのか。
 
たぶん、ずっとこの山深い町で暮らしてきた主人公は、薄っぺらいグランピング施設計画以上に、ちょっと薪割りしたくらいで「田舎最高っす!」みたいなことを言いだし、そのくせ自然と人とが邂逅する最も尊い瞬間を理解せずに、街の感覚のまま土足で踏み込もうとする「高橋」が、いちばん許せなかったんではないだろうか。
高橋はグランピング場の説明会で、町の人から計画のずさんさを攻められ、コテンパンにやられる(←ここすっごい爽快感!爆  笑
でも、意外に素直に町の人の意見を取り入れ、グランピング計画をよいものにしようと社長やコンサルに進言し(当然聞いてくれないけど)、自分なりにこの町に好意をもつ。
そういう高橋は、「悪」ではない。
でも、悪意があってこちらを攻撃してくるヤツよりも、悪意はないけど無邪気に深いところを抉ってくるヤツのほうが、イヤだったりしない?不安
 
資金繰りが悪化して追い詰められ、遮二無二にグランピング計画を推進しようとする芸能事務所社長はイヤなやつだ。
決して現場には行かず、絶対に責任は取らず、口先だけでテキトーにビジネスを転がすコンサルはもっとイヤなやつだ。
いや、こういう車の中から(いかにも片手間プンプン)リモートで会議に出て、ビジネスライクに徹した薄~い意見しか言わず、「次のリモート会議入ってますんでこれで」とか言って消えるコンサルタント、マジで撲滅したい!!💢
でも、彼らはまだ「わかりやすいイヤなヤツ」だからいい。
高橋みたいな人が、じつはいっちばん始末が悪いんじゃないだろうか?
 
それが「鹿」を巡る直前の会話にも表われている。
グランピング用地は、野生の鹿の通り道になっている。
そこにグランピング場を作ったらどうなるか。
鹿は「基本的には(←ココ大事!)」人を襲わないと聞いた女性社員が、「じゃ、鹿はグランピング場に近寄らないかもしれないですね(だから人間は危なくないですね)」と言う。
主人公が聞く「じゃあ鹿はどこに行くんだ?」
高橋が言う「どっかよそに行くんじゃないですか」
・・・どっかってどこだよ?
って、主人公も私も思ったよね。
 
実際のところ何がどうなったのか、この映画は結末を描かずに、主人公の荒い息づかいと夜の木々を写して終わる。
エンドロールも最小限で終わって、すぐ灯りがつく。
だから観客は映画の世界に置いて行かれてしまう。
有名俳優もイケメンも美女もまったく使っていないせいもあって(なんたって主人公を演じるのは、元々スタッフとして参加していた映画監督だ)、本当に自分がこの映画の世界を体験したような気になる。
それがこの映画が謳う「没入感」なんだな。
 
高橋は「悪」ではない。
主人公のしたこともまた「悪」ではないのではないか、と私は思う。
もちろん、花ちゃんも。
鹿も。
悪は存在しない、はずなのに、この世の中はなぜにこうも生きにくいのだろうか?
 
たださ、巧さん、とりあえず山の中を子ども1人でフラフラさせるのはやめよう!
最初から不穏な感じがしてドキドキしてたら案の条だよ滝汗
花ちゃんが自然のなかで遊ぶ姿は崇高なほど美しいけれど、やはり自然はどう猛だもんね。
この頃、どこでもクマ出ちゃうしねくま